
西部地区の坂巡り、次は、この広い坂をご紹介します。

名前は「二十間(にじゅっけん)坂」。
「間」とは、長さとか幅を表す単位で、1間=約1.8mであることから、約1.8m×20=約36mという、広い幅員の坂です。
函館が、明治から昭和にかけて、幾度となく大火に見舞われてきたことは、現在でも広く語り継がれていますが、この坂は、1879年(明治12年)の大火後、防火線として整備されたもので、1934年(昭和9年)に発生した大火の際は、火が西へ西へ延焼範囲を広げる中、この坂によって、これより西側の延焼が食い止められたとされています。
整備された当初は、木が多く茂っていたことから「緑坂」と呼ばれたり、付近に大工や工人が多く住んでいたために、「大工町坂」と称されていたこともありました。


沿道にある建物でまず目に止まるのが、有名な洋食レストランの「五島軒」。
カレーが有名で、店内だけにとどまらず、レトルトや缶詰でも売られており、お土産としても、根強い人気があります。

五島軒の反対側で目に止まったのが、このお寺。

国指定の重要文化財である、「東本願寺函館別院」。
1668年、松前専念寺というお寺の浄玄という僧が、阿弥陀堂を創設したことに始まるとされているお寺で、当時は僧の名前にちなんで浄玄寺と呼ばれていました。
その後、1806年、1829年と二度の大火に見舞われ、1879年の大火で建物を焼失し、現在地に移転するも、1907年(明治40年)の大火で延焼したのをきっかけに、現在のコンクリート造りの大寺創建に向け、動き出すことになりました。
1915年(大正4年)の建て替え時に、鉄筋コンクリート造りとなり、現存する鉄筋コンクリート造りの寺院としては日本最古となっています。

坂の上から下に向けて一枚。
景色の雄大さもさることながら、表面には、黒っぽい長方形の石が規則的に敷き詰められ、その美しさも、坂の魅力の一つとなっています。

最後に、坂の上にある建物を一つご紹介。
函館をはじめ道南地方で人気のコミュニティFM「FMいるか」の建物で、放送局としてだけでなく、コンサートや落語などのイベント会場としても利用されています。