
ご存知、五稜郭公園のお堀。
写っている木の様子から、最近撮った物ではないことがバレバレですが。

一枚目以上に、あからさまにバレバレな写真。
そう、冬になると、ご覧の通り凍結してしまうのですが、実は昔々、このお堀が、天然の製氷所となって、切り売りされた氷が全国へ出荷されていたということがあったのだそうです。
それは、三河国額田郡伊賀村(現・愛知県岡崎市)出身の実業家である中川嘉兵衛という人物の手によるもの。
中川は、富士山麓や信州諏訪湖、日光山中、奥州釜石などで採氷を試みるも失敗が続いた後、1869年に五稜郭を訪れ、採氷に有望な地と判断。翌1870年(明治3年)に開拓使より、濠1万7,000坪、7年間の使用権を獲得し、さらに翌年の1871年(明治4年)に、結氷670トンを切り出し「函館氷」として商品化に成功した。
1881年、その氷は、内国勧業博覧会に出品して賞牌を受け、その賞牌の表面に龍の紋章を附したことから「龍紋氷」と呼ばれ、函館名産に成長するが、1890年に、五稜郭外壕貸与規則が変更され、濠の使用が競争入札になったことに伴い、中川は、亀田郡神山村(現在の函館市神山地区)に製氷池を新設。さらに事業を拡張して晩年までこれを継続したが、五稜郭の製氷は、冷蔵技術の発達と水質汚濁により、昭和初期には中止になったとされている。
水質汚濁って言葉を使ったけど、五稜郭のお堀の水は、決して汚くはないようにも見えます。
だけど、そんなお堀の水で、商品に出来るほど綺麗な氷が採れた時期があったというのは、正直驚きでした。
歴史の宝庫である函館。これからも、そんな知られざるエピソードを見聞きしたら、調べて紹介していきます。