江差を離れて一年と三ヶ月。
本来なら、江差にいた時に紹介しておくべきだったスポットを、先日たまたま通ったので、思い出して紹介します。

場所は、国道228号沿い。
江差の隣の上ノ国町と、江差の境界付近に、こんな看板が立っているのです。
「北海道発祥の地」?
一体どういう意味なんでしょう?
上ノ国町の位置は、こちらを参照していただくとして、15世紀頃、江差や上ノ国、松前などがある渡島半島では、日本海側が「上ノ国」、太平洋側は「下の国」と呼ばれており、その後 北方交易の拠点として現在の日本海側が栄え、「上ノ国」の地名のみが残ったとされています。
その15世紀頃、渡島半島には、「館」という城館が10を超えるほどあったとされていますが、1457年、アイヌ民族と和人の争いとして知られる「コシャマインの乱」各地の館が次々と陥落する中、上ノ国の花沢館にいた蠣崎氏によって乱が鎮圧され、これがきっかけで支配権を確立した蠣崎氏の勢力は、江戸時代になり、正式に松前藩として認められることになりました。
そうした歴史を踏まえ、上ノ国は、和人による北海道開発の歴史の基点になった場所であるという意味で、「北海道発祥の地」と呼ばれているそうですが、「北海道」という地名が生まれた場所と誤解されるのを避けるため、「北海道史の発祥の地」と呼ばれることもあるそうです。
江差にいた頃から、何度となくこの前の道路を通り、「どういう意味なんだろう?」と思いながら通過していましたが、今回調べてみて、なるほどと納得させられるものがありました。

看板付近から見た日本海。
冬の荒れ方はとにかく凄まじいけれど、この時期は、青空ともよくマッチしていて、大変穏やかな海となっています。
本来なら、江差にいた時に紹介しておくべきだったスポットを、先日たまたま通ったので、思い出して紹介します。

場所は、国道228号沿い。
江差の隣の上ノ国町と、江差の境界付近に、こんな看板が立っているのです。
「北海道発祥の地」?
一体どういう意味なんでしょう?
上ノ国町の位置は、こちらを参照していただくとして、15世紀頃、江差や上ノ国、松前などがある渡島半島では、日本海側が「上ノ国」、太平洋側は「下の国」と呼ばれており、その後 北方交易の拠点として現在の日本海側が栄え、「上ノ国」の地名のみが残ったとされています。
その15世紀頃、渡島半島には、「館」という城館が10を超えるほどあったとされていますが、1457年、アイヌ民族と和人の争いとして知られる「コシャマインの乱」各地の館が次々と陥落する中、上ノ国の花沢館にいた蠣崎氏によって乱が鎮圧され、これがきっかけで支配権を確立した蠣崎氏の勢力は、江戸時代になり、正式に松前藩として認められることになりました。
そうした歴史を踏まえ、上ノ国は、和人による北海道開発の歴史の基点になった場所であるという意味で、「北海道発祥の地」と呼ばれているそうですが、「北海道」という地名が生まれた場所と誤解されるのを避けるため、「北海道史の発祥の地」と呼ばれることもあるそうです。
江差にいた頃から、何度となくこの前の道路を通り、「どういう意味なんだろう?」と思いながら通過していましたが、今回調べてみて、なるほどと納得させられるものがありました。

看板付近から見た日本海。
冬の荒れ方はとにかく凄まじいけれど、この時期は、青空ともよくマッチしていて、大変穏やかな海となっています。