
次に紹介する坂は「弥生坂」。
全長720mと、西部地区では最も長い坂です。
さて、何が待っているでしょうか・・・。

どうでもいいことだけど、名前が名前だけに、(獣電戦隊)キョウリュウジャーの放送中に、意識して歩いてみればよかったかなとちょっぴり後悔。
すみません、本当にどうでもいいことでしたね。
現在は一本の長い坂ですが、かつて二本から成っていて、一方に、現弥生小学校敷地の西側にある称名寺というお寺(後日紹介予定)が建っていたことから、「称名寺坂」、「西の坂」、または「寺町の坂」と呼ばれ、もう一方は、1871年(明治4年)までこのあたりにあった遊廓から帰る人を冷やかしてか、「改心坂」と呼ばれていたとされています。
そして、1879年(明治12年)の大火後、現在のように一本に整備された際、地域の繁栄・発展を祈念し、春を意味する「弥生」を用いたのだそうです。

少し登った所にある、蔵造りの建物。

前に一度紹介したことがあったのですが、こんな所にも、新撰組、土方歳三ゆかりの場所がありました。
リンク記事で紹介している「日本初のクリスマスツリー」今年も点灯するのかな・・・?


基坂や八幡坂のような石畳ではないですが、沿道の大きな木が、この時期は色鮮やかな緑となって、彩ってくれています。

少し先へ。ここから先は、一気に道幅が狭くなります。
上の坂は、函館山を構成する各頂へ通じる道にちなんで「薬師坂」または「七面坂」と呼ばれていたそうです。

ここから先も、以前一度行ったことがあるのですが、もう六年前の話なので、初めてのつもりで行ってみました。

かつて、咬菜園(こうさいえん)という名園があったことを示す碑ですが、現在は一般の方の住宅敷地なので、写真の掲載は差し控えます。
一応、こちらをご参考までにということで。



ここは六年前にも行っていた、箱館戦争における海軍兵士達の慰霊の場所。
実に、73名もの兵士達が祀られています。

坂の頂上近くから一枚。
そう、こんなに道幅が狭くなっているのです。

そして最後に、降りる途中で一枚。
上で紹介した写真では青空だったのに、こちらは曇天ですが、間違いなく、同じ日に撮ったものです。
何でこの時だけ曇りになっちゃうのかなあ・・・、ここで青空だと、最高の絶景だったろうに・・・。