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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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北海道夜明けの地

2015-06-28 19:43:02 | 渡島・檜山地方
日本史の授業で出てきた「戊辰戦争」という戦争の名前をご記憶の方も多いと思います。
1868年(明治元年)1月3日、京都の「鳥羽・伏見の戦い」に端を発したこの戦争は、江戸を経て次第に北上を続け、ついには蝦夷地が舞台となっていきました。

同年8月19日、徳川家の処遇に不満を抱いていた旧幕府海軍副総裁榎本武揚率いる艦隊は、東北諸藩の救援のために江戸を脱出しましたが、東北諸藩(奥羽越列藩同盟)が崩壊したため、目的地を蝦夷地に変更。10月20日、榎本一行は、既に開港していた箱館での戦闘を避けるため、渡島半島のほぼ真ん中、内浦湾に面した鷲ノ木という地に上陸。ここに、旧幕府脱走軍と新政府軍の戦い、「箱館戦争」が幕を開けることとなりました。





その現場は、函館と札幌を結ぶ国道5号に面した、森町の鷲ノ木地区。
国道に、こんな案内看板が設置されています。











史跡に指定されている公園の一角に、このような碑が設置されています。





「上陸の地」とありますが、この碑の先は、ご覧の通り民家が点在しているうえ、現在はJR函館本線が走っているため、正直、「上陸の地」と言われてもピンとこない部分もあります。








公園の一角には、戦没者の慰霊碑も設置されています。

かくして蝦夷地に上陸した榎本一行は、10月26日に五稜郭を占領し、11月1日、榎本が五稜郭に入城。12月には蝦夷全島平定が宣言され、「蝦夷共和国」を樹立し、榎本は総裁となりました。

しかし、蝦夷地を占領された新政府軍も、黙って手をこまねいていたわけでは決してなく、蝦夷地奪還の準備を着々と進め、1869年(明治2年)4月6日に、青森から蝦夷地へと出発。9日に、日本海に面した乙部に上陸しました。





ということで、次に紹介するのは、その新政府軍が上陸した場所。
江差の隣、乙部町の中心部に、このような名前の通りが整備されています。








通りを進んで海へ向かうと、このような幟が。








そう、ここが、新政府軍の上陸地です。

新政府軍は、上陸後、まず江差を制圧し、その後、厚沢部~大野(現北斗市)を経て箱舘へ向かうに当たり、木古内を進攻する隊と松前を進攻する隊とに分かれて箱舘を目指し、5月11日、箱館総攻撃が開始されます。
旧幕府脱走軍の陸軍は各方面で相次いで敗退し、かの土方歳三も、この戦いで戦死しています。(土方が最期を遂げた場所がこちら

戦いは熾烈を極め、16日には、千代ヶ岡陣屋(毎年ファイターズ戦が開催される「函館オーシャンスタジアム」の側)で徹底抗戦を続けていた中島三郎助親子らが戦士(その場所がこちら)。翌17日に、榎本らは新政府側に降伏し、翌18日に五稜郭が新政府軍に明け渡されたことで、鳥羽・伏見の戦いに端を発した戊辰戦争が終結することとなりました。





官軍上陸の地の側は、ご覧の通り、漁港として整備されています。
ごく普通の平穏な光景ですが、ここが「北海道夜明けの地」とされ、現在に至っていることの意味は、しっかりと噛みしめねばなるまいと考えます。
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