北海道の高校は、今時期が学校祭シーズン(内地はどうか知らないけど)なのだが、今日は、娘が学校祭のステージ(ファッションショー)に出るので、観に行ってみた。
いいもんですな。娘がランウェイを行進し、そこへ娘への声援が飛び交うってのは。
女子校なので、男親が行くと肩身が狭いのではと不安だったけど、楽しめました。
ということで、今日は学校祭の思い出。
「学校祭」というイベントは、中学~高校と六年間経験したが、まずはざっと振り返ってみる。
【中学1年】
クラスの展示で、札幌の街並みを表現した模型か何かを作ったのだが、余りにも来客が少なく、他のクラスの所まで客引きに行ったのを覚えている。
この他、バザー会場で、同級生達と悪ふざけで、七味唐辛子(一味だったかも?)を大量に舌に乗せ、火が付いたような辛さを楽しんだりも。
【中学2年】
テーマは忘れたが、クラスの展示のための取材で、JR(この年に国鉄からJRに変わった)札幌駅の事務室を訪問したのを覚えている。
記憶に間違いがなければ、この時、生まれて初めて、コーヒーという飲み物を口にした。
【中学3年】
よく覚えてないんだけど、卒業アルバムを見ると、クラスで宇宙を表現した展示を作成し、「シンプル賞」という賞を受賞したらしい。
【高校2年】
この年の大ヒット曲である、米米CLUBの「浪漫飛行」がテーマソング。
クラス発表では、この頃から札幌市内でも数が増えてきたカラオケボックスをやり、昔懐かしい「8トラック」の装置を借りてきたりしたのを覚えている。
【高校3年】
テーマソングは、JUN SKY WALKER(S)の「START」。
クラスでは、空き缶を集めたアートを作成し、私も空き缶集めにスーパーなんかを回ったが、私のメイン担当は、学校の外壁に飾る垂れ幕作りだった。
ステージイベントで、「エレキの神様」こと寺内タケシさんのライブが開催され、大変な盛り上がりとなったのも印象に残っている。
あれっ、「高校1年は?」って?
そうなんです、実は六年間で一番思い出深いのが高校1年の時でした。
この年は、生徒会の学校祭実行委員をやっていて、直前になると、毎晩遅くまで残って準備をしていたのだが、中でも一番大変だったのが、グラウンドでのキャンプファイアーの準備。
グランドの真ん中にキャンプファイアーのセットを置き、それと、グラウンドの裏山に打った二本の杭とを針金で結び、火を付けた小さな飛行機を滑らせてセットに放り込み、点火するという趣向だったのだが、何が大変かって、学校が山の中なので、とにかく蚊に刺されまくったのなんのって。今でも、あの時の痒さと、周りを飛び交う蚊の音はよく覚えている。
そんな中で迎えた本番当日、いよいよ点火の瞬間、裏山から滑り落りてくる二機の飛行機が目に入った瞬間、これまでの苦労が一気に頭を過ぎり、無事に火が付いた瞬間は涙が溢れて止まらなかった。
この後は、一般の生徒達はキャンプファイアーを囲んでのフォークダンスだったのだが、実行委員はそれに参加せず、片隅で見ていただけ。でも、あの時涙が止まらなかったことを思えば、参加してても、踊りどころじゃなかった気がするので、それはそれでよかったかも。
クラスの展示は、生徒や先生を片っ端から捕まえて写真を撮り、アンケート形式でプロフィールを書いてもらって展示するというものだったのだが、私は実行委員だったのでそっちにはほとんど関わらず、当日、空き時間にじっくり見ただけだったのだが、ある体育の先生(体格のいい男性)の「理想のタイプ」を見て、普段のイメージからは想像できないコメントに驚いたのを覚えている。
私の高校の学校祭は毎年テーマソングが選定されていて、この年は、大ヒットした、プリンセス・プリンセスの「Diamonds」だったが、正直な話、私は、こっちよりも、「世界で一番熱い夏」の方が好きだったりも・・・。
学校祭・・・色々あったけど、今振り返れば、どれも懐かしい思い出ばかり。
今日久しぶりに行ってみて、改めて、いいもんだなあと思いました。
いいもんですな。娘がランウェイを行進し、そこへ娘への声援が飛び交うってのは。
女子校なので、男親が行くと肩身が狭いのではと不安だったけど、楽しめました。
ということで、今日は学校祭の思い出。
「学校祭」というイベントは、中学~高校と六年間経験したが、まずはざっと振り返ってみる。
【中学1年】
クラスの展示で、札幌の街並みを表現した模型か何かを作ったのだが、余りにも来客が少なく、他のクラスの所まで客引きに行ったのを覚えている。
この他、バザー会場で、同級生達と悪ふざけで、七味唐辛子(一味だったかも?)を大量に舌に乗せ、火が付いたような辛さを楽しんだりも。
【中学2年】
テーマは忘れたが、クラスの展示のための取材で、JR(この年に国鉄からJRに変わった)札幌駅の事務室を訪問したのを覚えている。
記憶に間違いがなければ、この時、生まれて初めて、コーヒーという飲み物を口にした。
【中学3年】
よく覚えてないんだけど、卒業アルバムを見ると、クラスで宇宙を表現した展示を作成し、「シンプル賞」という賞を受賞したらしい。
【高校2年】
この年の大ヒット曲である、米米CLUBの「浪漫飛行」がテーマソング。
クラス発表では、この頃から札幌市内でも数が増えてきたカラオケボックスをやり、昔懐かしい「8トラック」の装置を借りてきたりしたのを覚えている。
【高校3年】
テーマソングは、JUN SKY WALKER(S)の「START」。
クラスでは、空き缶を集めたアートを作成し、私も空き缶集めにスーパーなんかを回ったが、私のメイン担当は、学校の外壁に飾る垂れ幕作りだった。
ステージイベントで、「エレキの神様」こと寺内タケシさんのライブが開催され、大変な盛り上がりとなったのも印象に残っている。
あれっ、「高校1年は?」って?
そうなんです、実は六年間で一番思い出深いのが高校1年の時でした。
この年は、生徒会の学校祭実行委員をやっていて、直前になると、毎晩遅くまで残って準備をしていたのだが、中でも一番大変だったのが、グラウンドでのキャンプファイアーの準備。
グランドの真ん中にキャンプファイアーのセットを置き、それと、グラウンドの裏山に打った二本の杭とを針金で結び、火を付けた小さな飛行機を滑らせてセットに放り込み、点火するという趣向だったのだが、何が大変かって、学校が山の中なので、とにかく蚊に刺されまくったのなんのって。今でも、あの時の痒さと、周りを飛び交う蚊の音はよく覚えている。
そんな中で迎えた本番当日、いよいよ点火の瞬間、裏山から滑り落りてくる二機の飛行機が目に入った瞬間、これまでの苦労が一気に頭を過ぎり、無事に火が付いた瞬間は涙が溢れて止まらなかった。
この後は、一般の生徒達はキャンプファイアーを囲んでのフォークダンスだったのだが、実行委員はそれに参加せず、片隅で見ていただけ。でも、あの時涙が止まらなかったことを思えば、参加してても、踊りどころじゃなかった気がするので、それはそれでよかったかも。
クラスの展示は、生徒や先生を片っ端から捕まえて写真を撮り、アンケート形式でプロフィールを書いてもらって展示するというものだったのだが、私は実行委員だったのでそっちにはほとんど関わらず、当日、空き時間にじっくり見ただけだったのだが、ある体育の先生(体格のいい男性)の「理想のタイプ」を見て、普段のイメージからは想像できないコメントに驚いたのを覚えている。
私の高校の学校祭は毎年テーマソングが選定されていて、この年は、大ヒットした、プリンセス・プリンセスの「Diamonds」だったが、正直な話、私は、こっちよりも、「世界で一番熱い夏」の方が好きだったりも・・・。
学校祭・・・色々あったけど、今振り返れば、どれも懐かしい思い出ばかり。
今日久しぶりに行ってみて、改めて、いいもんだなあと思いました。