釧路市の中でも、幣舞橋よりも南の「橋南(きょうなん)地区」と呼ばれる地区を歩いてみると、なかなか興味深いスポットに多く遭遇します。
この案内表示板もその一つ。ぶらぶら歩いている途中で見つけました。
1908年(明治41年)1月21日に釧路入りし、新聞記者として活動していた啄木は、同年4月5日、僅か76日の滞在を終え、「酒田川丸」という船で釧路を離れました。
その「釧路離れた場所」というのが、この辺りになります。
こういうスポットは函館にもない(分かっているのかもしれないけど、案内表示板や碑などは設置されていない)ので、大変興味深く感じました。
すぐ隣及び表示板の背後は建設会社の敷地ですので、散策の際は、道路から見るにとどめてください。
啄木ゆかりのスポットは、ほかにもまだまだ沢山あるのだけど、とりあえずもう一つ。
「しゃも寅」とは、啄木が釧路に滞在していた当時存在していた料亭で、この地を含め住宅街で湧き出る井戸は、江戸時代には飲料水や地酒の醸造にも利用されていました。
後日また触れますが、啄木は釧路滞在中、「しゃも寅」の芸妓であった、「小奴」という女性と親しい関係にあったと言われています。
その「小奴」も含めた啄木ゆかりの地については、近々、それに特化した「ブラナナマガラー」をしようと思っています。
「しゃも寅の井戸」の場所はこちら。