
釧路市内を一望できる高台「青雲台」と呼ばれる場所に、このような建物が存在しています。

看板のとおり、「太平洋炭礦」に関する資料を展示している場所です。

屋外展示されている大きな機械。
これは何でしょう?


文字が擦れてしまってますが、「コンティニュアスマイナー」というもので、前方にある切削刃付き回転ドラムで石炭を切削し、その石炭を掬い取って、コンベヤで後方の運搬装置に運び入れる作業を行う機械です。
第二次世界大戦後、アメリカの炭鉱で、この機械を使った採炭技術の進歩が見られたそうです。

館内は、以前は係員さんが常駐していたそうですが、現在は無人化されており、敷地内にある体育館で入館手続きをして中に入ります。
入ると、早速このような物がお出迎え。

凄いですね。これだけで6トンもあるとは。
これだけのものを採炭し、運搬するというだけで、いかに凄い技術であるかが窺えます。

館内には、炭鉱に関する様々な展示が。



以前紹介した「永住町」のような、炭鉱周辺の、「炭住街」と呼ばれた地域の模型です。

「模擬坑道」。
面白そうですね。






これは凄い。
実際に活躍していた機械の数々を展示することで、坑道の様子が再現されています。


「ガス検知器」。
そういえば、北海道の炭鉱でも、坑内でのガス突出事故が発生したことがありました。
小学生の頃、夕張の炭鉱で発生した事故の報道は朧気に覚えています。子供心に、胸を痛めた記憶があります。
そういえば、高精度の検知器が開発される前は、カナリヤを坑内へ連れて行ったことがあったと聞きました。
カナリヤは常に鳴き続けている鳥ですが、高濃度のガスに触れた途端に沈黙してしまうことから、その様子でガスの突出度合を調べていたんだそうです。
今から思えば、それも何だか切ないというか、哀れな話のようにも感じられますね。


展示館の外。
御覧のとおりかなり広い敷地で、何か有効活用の手立ては・・・と思ってしまいますが、実はここには以前、「太平洋スカイランド」という多目的総合レジャー施設があったんだそうです。
この広い敷地内に、遊園地、ボウリング、プール、スパリゾート、ホテルなどがあり、道東地方随一の巨大レジャー施設として賑わったとのこと。
昭和44年(1969年)に開園し、平成14年(2002年)3月、先程の「炭鉱展示館」を除いて閉園となりました。
ということは、前回釧路に住んでいたとき(平成14年4月に転勤で釧路に来ました)は、閉園直後だったんですね。
見てみたかった気もします。


現在、敷地内には、「青雲台体育館」と「青雲台斎場」が存在していますが、先日の記事で触れた「春採神社」という神社も、昭和56年(1981年)11月にこの地に遷座されていました。
「ヤマの氏神」として崇められ続けたこの神社も、平成14年1月の炭鉱閉山に伴い、同年7月、愛媛県大三島の「大山祗(おおやまづみ)神社」に御神体が返還され、現在は、社殿なども取り壊されてしまっています。
(「炭鉱展示館」はこちら)