今から28年も前の話なんだけど、大学2年生になったばかりの平成5年(1993年)4月、ようやく自動車学校の卒業検定を突破し、運転免許の本試験を受けるのに、手稲区にある運転免許試験場にバスで向かっていて、ある停留所の名前が耳に残っていたのを思い出しました。
その停留所というのがこちら。
「曲長通」。何て読むと思います?
「きょくちょうどおり」ではありません。
正解はこちら。
「かねちょうどおり」と読むんですね。
行政地名ではないけど、札幌の地理や歴史に関する本の中では、難読地名として紹介されることが多いです。
ごく普通の道路なんだけど、通りの名前の由来は、明治7年(1874年)に、現在の滋賀県大津市から入植した「本間長助」という人物が、この近くに農場を経営していて、その農場の名前が、本間氏の屋号であった、「かねちょう」から取って「曲長農場」と呼ばれていたことだそうです。
手書きで失礼しますが、こう書いて「かねちょう」という屋号でした。
¬の記号は、直角に曲がった物差しの「曲尺」から、屋号に用いられるときは「かね」と呼ばれていたそうです。
本間氏は、現在の中央区南3条東2丁目で、札幌で最も古いとされる酒造業者を経営していて、その屋号が「曲長酒造」だったことから、農場も「曲長農場」と呼ばれていたそうです。
「曲長通」と周辺の位置関係は↑のとおり。
ちょうど、運転免許試験場のある辺りに「曲長農場」があったそうです。
あまりクローズアップされることのないエピソードかもしれないけれど、現在に至るまで通りの名称として残っていることからして、本間長助氏が地域の発展に影響を残した人物であることが窺える気がします。