皆様お疲れ様です。
テレワーク主体の生活環境の中、すっかり曜日の感覚がなくなっていますが、今日は木曜日なんですね。
自宅で座りっぱなしというのもかなり疲れますが、ということは今週の勤務もあと一日か・・・。まあ頑張ります。
内容としては昨日の続きになるんだけど、昨日の記事で、「『大学村』周辺の電柱をチェックしたけれど、電柱に地名表記はなかった」と書きましたが、実際のところは、こういうありきたりな表記でした。
電柱の地名の基準ってなんなんでしょうね。気になります。
なんてことを考えつつ、「大学村の森」周辺を散策していたら、一つの記念碑を見つけました。
「成墾記念碑」とあります。
「開墾」の「墾」なので、「大学村の森」にあった、札幌農学校第3農場と関係があるのかなということが、真っ先に頭に浮かびます。
それはそのとおりでして、明治42年(1909年)6月に建立されたこの碑に刻まれているのは、第3農場の成墾(開墾)に携わった当時の小作人53名の名前です。
「第3農場」があったとされる、旧「烈々布」と呼ばれた地域は、歴史関係の本から察するに、概ねこの辺りのようです。
条でいうと、北20条から北49条、丁目でいうと、東1丁目から8丁目という広大なエリアです。
第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)、農地法により農場は自作者に解放されることとなり、同38年(1963年)には、全ての農地が売却され、小作農場は姿を消すこととなりました。
住宅地の一角に佇むこの記念碑。
台座部分は札幌軟石だそうです。
しっかりとフェンスに囲まれた碑というのも珍しいと思いますが、ここは北海道住宅の職員宿舎の敷地ということで、それも納得。
こうして農場としての歴史を後世に伝える役割を担っています。