北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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読み方の違いの秘密

2022-12-06 19:35:10 | 札幌

 

札幌市内を流れる「豊平川」。

何やら気になることが書かれていますね。昔の豊平川は「サッポロ」と呼ばれていた・・・?

そうなんです、実は、「札幌」という地名は、諸説ありますが、「サッポロ」、正確には「サッ・ポロ・ペッ」(アイヌ語で「乾いた大きい川」の意味)が由来とされていて、現在の札幌市中心部に当たる札幌扇状地(先日7年ぶりに放送された「ブラタモリ」札幌編でも扱われてました)において、幾つかの支流に分かれて乱流し、乾期には広大な砂利河原が広がる様子を表したものと言われています。

それが、何ゆえ、現在の「豊平川」という名前になったかということですが、北海道の名付け親とされている、かの松浦武四郎は、箱館奉行に対し「札幌樋平(トイヒラ)の辺りぞ、大府を置の地なるべし」と具申していました。

「トイヒラ」とは、アイヌ語で「崩れる(た)崖」を意味する「トゥイ・ピラ」に由来するとされ、武四郎は、その場所に開拓の拠点を置くべしと具申していたということです。

安政4年(1857年)、箱館奉行は、東西連絡のため、現在の国道36号に当たる「札幌越新道」を開き、石狩役所は、川の両岸にの渡船場を置きました。

それは、現在の「豊平橋」を跨ぐ両岸の辺りで、以前紹介しましたが、札幌開拓の祖と呼ばれ、当時この辺りに僅か二戸しか居住していなかった和人、吉田茂八と志村鉄一が渡守となっていました。

 

 

札幌開祖二人の碑 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

以前、北海道開拓が始まった明治2年(1869年)、現在の札幌に居住していた和人一家の一つ、吉田茂八の功績を称える碑を紹介したことがありました(こちら)。 &nb...

goo blog

 

 

(↑ うまい具合に、茂八と鉄一の位置関係を示すことができました)

 

その「トイヒラ」が、やがて「豊平」の文字を充てたことで、「とよひら」となったということなのですが、いつもながら、地名の由来そのものは理解できても、充てられた漢字の意味は、本当に不思議です。

なんたって、「崩れる(た)崖」なのに、真逆と言ってもいい「平」と充てていますからね。

この「豊平」という表記が最初に文献上用いられた時期は不明のようですが、「明治元年札幌地図」(明治8年)には「豊平」という表記が確認できました。

 

 

画像はお借りしてきました。

「ブラタモリ」でも紹介された地図です。確かに「豊平川」とありますね。

 

 

「ブラタモリ」では、この場所で、タモリさんと桑子アナが、札幌開拓の時代に思いを馳せるシーンが放送されています。

 

 

 

さて、この「豊平」ですが、札幌市内にはもう一つ、「豊平」と書く有名なスポットがありますね。

ここからも割合近い場所です。

 

 

 

そう、中島公園にある「豊平館」ですが、こちらは「とよひらかん」ではなく「ほうへいかん」と読みます。

同じ文字なのに読み方が違う、なんか不思議ですよね。

「豊平川」の方の由来は先程書いたとおりとして、では「豊平館」の由来ってなんなんだろうと思って調べてみましたが、「豊平館」の公式HPにも、「さっぽろ文庫」の「豊平館」を取り扱った巻にも、ズバリのことは見受けられませんでした。

色々調べてみたところ、「札幌が北の都として豊かに平和に発展するように」という願いが込められているという説があるようなのですが、なかなか裏が取れません(一言。ある不動産会社さんのHPにそう書いてあったのだけど、どうせ書くなら、出典をきちんと明記すべきというのが私の意見)。

「工事入札(明治12年)直後に決定したとされている」ということは「さっぽろ文庫」をはじめとする関連書籍にも記載があるのですが、肝心の由来の記載が見つけられません。

なので、この件は引き続き調べてみますが、もしかしてひょっとして、松浦武四郎が「樋平」としていたのが「豊平」になった理由も、「豊かに平和に」という意味合いがあった?

もしそうなら、どこかの本に書いてあるような気もするけど、そう考えると、「平」という文字を充てているのも、「崩れる(た)崖」とは真逆の意味であっても致し方なしなのかも。

面白い研究テーマを見つけることができました。引き続き調べてみたいと思います。

 

コメント
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