地下鉄東豊線月寒中央駅の近く。
先日紹介した「つきさっぷ郷土資料館」からも近い場所に、立派な松の木が存在しています。
その名は「営門の松」。
「つきさっぷ郷土資料館」の記事で触れた、「第7師団歩兵第25連隊」の兵営正門がこの位置にあり、その門前に植えられていた2株のうちの1つだそうです。
青で囲ったのが、当時の第25連隊の敷地内で、赤丸が「営門の松」です。
2株のうちの1つということですが、もう1株の方は枯れてしまったそうです。
第25連隊の本部は、第7師団が旭川に移転した明治33年(1900年)に、札幌に残される形となって、この地に開庁したとのことです。
この辺りに営門があったということなのでしょうかね。
本部跡地を囲む道路。
ごく普通の住宅街における歴史の語り部としても、「営門の松」は貴重な存在であり続けているのでしょう。
営門があったとされる場所から少し中へ入った所にある小さな商店。
そこに、このような表示板が。
地域の歴史を語るうえで欠かせない施設の歴史に関するものだけに、ひっそりと隠れるように設置されているのが少々残念です。
かつての連隊本部の敷地内をぶらり。
先程の本部跡地の少し先には、「札幌南税務署」があります。
写真右側には、連隊本部内の兵器工場の裏門があったそうですが、それを示すものは何もありません。
本当に普通の住宅街です。
この場所に限った話ではありませんが、せっかくの貴重な歴史が埋もれてしまうことのないよう、しっかり語り継がれていってほしいと思います。
敷地内の北側には、道立の札幌月寒高校があります。
写真のこの辺りには、連隊本部の「北門」があったそうです。
月寒高校は、同い年のいとこが卒業しているほか、大学の同級生でもここの卒業生が何人かいました。
道内でも上位の進学校で、私の卒業した高校よりは2ランクくらいレベルが上だったと思います。
この団地の辺りには、連隊本部の「南門」があったとのことです。
本部跡地を囲む道路の一つである「水源地通」へ。
連隊本部跡地をぶらりと一回りしてみましたが、やはり「営門の松」と「本部跡地」の表示板ぐらいしか、この地域の歴史を語るものがないようです。
写真の場所は、連隊本部の「東門」の跡地だそうですが、せめて、幾つかある門の跡地ぐらいには、何か残しておいてほしかったと思います。