雪が降る前の話になってしまうけれど、通勤途中に、気になる石碑を見つけました。
「藻岩村道路元標」?
そういえば、昨日の記事で札幌市の道路元標を紹介しましたが、これもまた気になりますね・・・。
(「そういえば」なんて書いてますが、お察しのとおり(?)、あえてこういう順番でアップしてます)
この藻岩村の道路元標も、札幌市と同じく昭和3年(1928年)に設置とあります。
雪が積もっている最近の写真。
ここはどこかと言うと、
大きな道路の横に、右斜めの道路が走っているこの場所ですが、
注目すべきは、写真右側の大きな道路ではなく、左側の小さな道路。
以前、↑の記事で紹介していましたが、地図の赤線の斜め通りは、「藻岩村」の前身である「円山村」のメインストリートだった通り。
明治3年(1870年)に、奥羽地方からの入植者が移入し、翌年に「円山村」と称されたこの地域は、その後明治39年(1906年)になって、近隣の「山鼻村」と合併して「藻岩村」となり、円山地区は「藻岩村大字円山村」と呼ばれるようになりました。
円山村の開村当時、この斜めの通りは、所謂「獣道」だったそうですが、やがてこの道の両脇に開拓民の家が立ち並び、開拓が進んで行ったことから、やがて村のメインストリートとなったとされています。
ということで、先の「藻岩村道路元標」は、この斜め通りを示すものということなのですが、せっかくの歴史を示す標柱が、現在はその場所から撤去されてしまっています。
かつて、「藻岩村道路元標」は、この場所にあったそうです。
電柱の下にある「2021」とは、建柱された年次のこと。
再開発も結構だけど、そのために、せっかくの地域の歴史を示すものが撤去されてしまうというのは、はっきり申し上げて、いかがなものかと思います。
まあ「藻岩村道路元標」の場合は、完全な「撤去」ではなく「移設」であるだけまだいいのかもしれませんが。
黒丸が元々の元標の位置、赤丸が移設後の位置です。
それにしても道路元標は元の場所に戻せないんでしょうか。
撤去よりは良いですが。
そうですよね、札幌の開拓は、道路と共にエリアを開拓していくことが多く、その道路も、例えば磁北を向いていたりと直線であることが基本なので、こういう斜めの道がメインストリートになるというのは、珍しいパターンだと思います。
元標の位置は、私も動かさないでほしかったと思いますね。
再開発の支障になるのは分かりますが、市役所がもう少し配慮できなかったのかなと思います。