雪が降る前の写真ですが、札幌の中心部をブラブラしていて見つけたものを紹介します。
先日紹介した、アクリル製フードの付いた信号機・・・ではありません。
ビルの前に、何やら小さな看板のようなものが。
以前も紹介したことがありましたが、札幌の中心部では、札幌にゆかりの文学者の生誕の地に、そのエピソードを記した解説板が設置されているのを多く見かけます。
「船山馨」という文学者は、大正3年(1914年)に札幌で生まれ、戦前に「北国物語」「三月堂」という著作で2年連続芥川賞の候補となり、注目を集めました。
戦後になり、しばらく表舞台からは遠ざかっていましたが、昭和42年(1967年)に「北海タイムス」という地方紙に発表した歴史ロマン「石狩平野」がベストセラーとなり、「小説新潮賞」を受賞して、表舞台への復活を果たしました。
その後は新聞小説を主として精力的に作品を発表し、多くの作品がテレビドラマ、舞台化され、「国民ロマンの巨匠」の異名を取り、昭和54年(1979年)には「北海道新聞文化賞」を受賞するなど活躍しましたが、同56年(1981年)に亡くなり、現在はこうして、その功績が語り継がれています。
続いてもう一人、先程の船山馨氏は、名前ぐらいは聞いたことがあったと思うのだけど、こちらの「島木健作」という文学者のことは全く知りませんでした。
明治36年(1903年)に札幌で生まれた島木氏は、北海道拓殖銀行や北海道大学付属図書館に務めた後に東北大学法学部選科に入学しましたが、後に学業を捨てて、香川県の農民組合で農民運動に参加し、昭和3年(1928年)の「3.15事件」(時の田中義一内閣が、日本共産党などの関係者千数百名を、治安維持法違反の容疑で一斉検挙した事件)で検挙、起訴されました。
その後、所謂左翼的思想からの転向声明をし、農民運動などプロレタリア文学、転向問題などを扱った作品を多く残しています。
こんな感じで、それまで殆ど(全く)知らなかった人物にゆかりの地があることを発見し、その功績の一端に触れるというのも、私の趣味である町ブラの醍醐味というか、魅力の一つだと思っています。
こういう活動を、自分なりにではあるけれど、今後も続けていきたいと思います。