昨日は北大通界隈で「歩道ブロック」について紹介しましたが、同じような物は、南大通にも設置されています。
米町方面へ向けて進んでみましょう。
「釧路公会堂」とは、明治44年(1911年)に、皇太子(後の大正天皇)の行啓にあたり、行在所として、幣舞橋を過ぎた坂の上、現在の「釧路市生涯学習センター まなぼっと」の辺りに新築落成開設された建物で、昭和33年(1958年)に「釧路市公民館」が建設されるまで存在していました。
「大福帳」とは、江戸時代の商家で使われていた帳簿のことで、「大帳」に福運を願って「福」を加えたものとされています。
私は珠算1級ですが、五玉のそろばんは、多分使ったことはないかと。
雪の少ない釧路でも、このような遊びは昔からあったんですかね。
石川啄木が記者を務めていた「釧路新聞社」は、↓にありました。
(紹介記事はこちら)
「近江屋旅館」とは、石川啄木ゆかりの女性として有名な「小奴」こと「近江ジン」さんが経営していた旅館で、↓の場所にありました。
(紹介記事)
雪国の冬の生活に欠かせないアイテムだったのでしょうね。
この下宿のあった場所は↓です。
ウーン、この二つの建物はどこにあったんだろう?突き止めてみたいなあ・・・。
「喜望楼」とは、啄木が足しげく通っていた料亭で、「佐野碑園」に、跡地を示す碑が建立されています。
(紹介記事)
あっ、ここは紹介しようと思ってしそびれていました。
追って整理します。
「共楽座」は、現在の米町公園の所にあった映画館です。
(紹介記事)
これは・・・どこなんだろう。
また一つ課題ができました。
というわけで、やっぱり歴史ある橋南地区の方が、正直紹介のし甲斐があったと思います。
まだまだ散策したいスポットが沢山ありますよこの辺りは。
※ 今回紹介したルート
釧路は何度か訪れましたが、歩道ブロックは全く知りませんでした。
車で走っていてはわからないですよね。
いつか、ゆっくり歩いてみたいです!
確かに、これはちょっと気付かれにくいかもしれませんね。
せっかくの歴史遺産(だと私は思います)なので、もっと広くPRされて然るべきだなと、今回の散策で思いました。