北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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一年に一度の

2014-07-07 21:58:09 | 日々のもろもろ



今日は七夕。
私は帰りが遅かったので、子供達の元気な歌声(函館の七夕にはこのような風習があるのです)は聞けなかったけど、我が家もお菓子を用意して、子供達が来るのを待っていました。
函館も他の地域の例に漏れずお子さんはどんどん少なくなっているらしいけど、一年に一度のこのイベントは、地域の大切な風習として、今後も残していくべきだと思います。

一年に一度、夜空に願い事をするこの日。
みんなどんな願い事をしているのだろう?
私は、月並みだけど、家族みんなで穏やかに、幸せに暮らせることが一番かなと。

さっき、今日は帰りが遅かったって書いたけど、何をしていたかというと、函館の隣の七飯町にある温泉に寄ってきた。
何と、七夕の特典として、町民じゃなくても、大人は一律200円で入れるという大サービスの日。
規模としては中くらいの所だけど、仕事の直後ということもあって、ゆっくりと寛げました。
なんせ今日は、20㎏ぐらいある段ボール箱を、何箱も担いで歩き回るという作業をしたものですから。
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3,333日目

2014-07-06 21:27:06 | 日々のもろもろ
タイトルのとおり、今日は、ブログ開設から3,333日目なんだそうです。
だからどうしたってわけじゃないですけど、管理画面を見ていてそのことに気付いたので、タイトルにしてみました。





木村大作監督作品、松山ケンイチさん主演の話題作「春を背負って」
五年前に上映された木村監督の「剱岳 点の記」が、とても興味深くて二回も観てしまったので、今回、監督の新作が公開されると聞いて、「これはぜひ観に行かねば!」と思っていたのだけど、何やかやとあって、今まで観に行くことができませんでした。

(「聞いて驚け!」な話。実は、「相棒 劇場版Ⅲ」は、まだ観ていないのです。18日までなので、今度の週末がラストチャンスです)

観ての感想としては、ストーリーもさることながら、自然の雄大さと、そこに身を置いて逞しく生きる登場人物の姿に心を打たれたというのが正直なところでした。
生きるということの意味と、家族や信頼し合う者同士の絆というものの大切さを実感させられる、そんな作品だと思います。
この夏オススメの一作です。





帰宅途中、上空から飛行機の音が聞こえたので、スマホを空に向けて一枚。
写っているかどうか心配だったけど、ちゃんと写ってました。





電車停留所からアパートまでの道中、いつも通る表通りを離れて、一本中に入った通りを歩いてみました。
初めて通る道(多分)だけど、新鮮な感じがして、いい気分転換になりました。
散歩も趣味の一つなので、これからも新しい散歩道をどんどん開拓したいところです。
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新キャラ登場

2014-07-05 21:23:00 | 函館



久しぶりに五稜郭公園を散策していたら、こんなキャラを見つけました。
公園の池を泳ぐ鯉がモチーフだそうです。
(関連記事)





九分九厘、このキャラのネーミングは、あの非公認ゆるキャラから来ているかと思いますが、世間を騒がせているあちらさんの偽物ではないので、もっとPRして、定着していってほしいですな。

今日の夕食は、久しぶりに家族三人で食事へ。
たまにしかサービスできないけど、いいものだなと思いました。
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人の痛みをわかること

2014-07-03 21:54:40 | 気になるコト
「私を代わりにいじめて」小3女子の健気な勇気(読売新聞) - goo ニュース


このニュースを聞いて思ったこと。

この女の子の正義や勇気と言ったものが、この程度のことで損なわれるようなことは、絶対にあってはならない。
この女の子が、この程度のことで、正義や勇気を発揮したりすることに臆病になったり、そういうことが損だなどと思ったりしてはいけない。
そういうことにならないようにするのは、周囲の大人達の責任だと。

ニュースによると、問題となっているクラスの担任は新任らしいが、一部で報道されているように、「遊びやふざけだと思っていた」などというのは、新任だということを考慮しても、情けないとしか言いようがない。
恐らくだけど、これまでの人生で、人の痛みを自分のこととして受け止めるとか、自分自身が本当に痛みを感じ、傷つくというような経験をしていないのだろう。
かつては、特別なことがなくても、人と人との触れ合いの中で、そういったことは自然と身に付いていったりしたものだと言われるが、そういうことができない世の中になってしまったのだなあと思うと、残念というか寂しい気持ちになってしまう。

最初に戻るけど、何にしても、この女の子が、この程度のことで正義や勇気を発揮できなくなるようなことは絶対にあってはならない。それだけは切に願う。
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理由を聞かない配慮

2014-07-02 22:11:59 | 日々のもろもろ
あくまでも一般論としての話。

よく、何かにつけて、理由を聞かなければ気が済まない人がいるけれど、正直これは程度問題だと思う。
特に、世間一般で、「こうあるべき」とされていることに反するような行動を取ったり、あるいは主義主張を貫いている人に対してそのようなことが見られがちだが、私自身、「こうあるべき」という考え方に縛られるのは好きではないし、理由を述べるということに関しても、中には、表だって言いたくないような理由を抱えている人だっているわけだから、それを根掘り葉掘り聞きだそうとするなんてのはもってのほかだと思う。

「こうあるべき」という考え方は、社会生活を送る上での目安や指針ではあると思うが、それがどこまで人を拘束するものであるかは、ケースバイケースで異なるものだと思う。
「こうあるべき」とされていることに反する行動や主義主張が、明らかに世の秩序に反していたり、そこまではいかないけれど、周囲に多大な迷惑をかけている若しくはその恐れがあるということであれば、それは、きちんと考えを問い質し、言い聞かせて、改めさせる必要があるだろう。
だけど、誰にも迷惑をかけていないし、大勢に影響するような問題も起こっていないようなケースにまで、理由を根掘り葉掘り聞くことに、一体何の意味があるのだろうか?
どうして、「考え方や行動の仕方は人それぞれ」という視点に立って、そっとしておいてあげようと思わない(思えない)のだろう?

最近は殆どなくなったが、以前は、うちの職場でも、例えば飲み会に欠席するにしても、きちんと理由を言わなければ了解してもらえない、あるいは、その場では了解してもらえたとしても、後になって色々と言われ、職場で居心地が悪くなるなんてことがよくあった。
またそればかりか、例えば体調不良を理由に欠席しようとしても、「飲めば治る」などと、馬鹿げているにもほどがあることを言って認めようとしないというケースもあった。
これだって、少しぐらいの体調不良であっても、Aさんは出席、Bさんは欠席というのは、それぞれの考え方に基づいてのことだから、外野がとやかく言う問題ではないはずなのに、どうしてそのように受け止めようとしないのだろうということは、ずっと思い続けてきていた。
それだけに、最近はそういう風潮もあまり見られなくなってきたことは喜ばしいが、それでもまだ、一部には、おかしな考え方で周囲を拘束しようとしている人もいるので、困ったものなんですけどね。

くどいようだけど、あくまでも、一般論として思っていることです。
目の前で起こっていたり、周囲の人に振りかかっていることに対して一言物申すとか、そういう意味ではありません。






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