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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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溜息しか出ない

2015-06-26 22:19:34 | 気になるコト
盲導鈴、苦情で音小さく 住民「子が寝付けぬ」/障害者団体「理解して」(北海道新聞)


凶悪な殺人事件や、先日の砂川の飲酒ひき逃げ事件(これはもう「事故」ではなく「事件」だよね)のような理不尽なニュースに接する度に、「何でこんな世の中になっちゃったんだろう・・・」と思うことが多い昨今だけど、このニュースもまた、そんな思いを抱かざるを得ない。

どうして、何でも自己中心で、その人(このニュースで言えば視覚障がいのある方)の立場に立とうと考えられないんだろう。
あくまで想像だけど、こんなクレームをつける人は、それに対して反論を受けたりすると「こっちがどれだけ大変かわからないくせに」みたいなことを言うんだろうねきっと。
そこまで言われちゃうと、それ以上反論して、そういう考えではいけないということをわからせようとする気も萎えちゃいますよ。(それではいけないんだろうけどさ)

それと、記事に、冬は積雪で点字ブロックが隠れることもあると書かれているが、点字ブロックの周りを優先的に雪掻きしてた人が、通りかかった人に、邪魔者扱いされたなんて話も聞いたことがある。
よしんばそこに点字ブロックがあることを知らなかったとしても、事情を説明して理解してくれれば、まだいい方なんだろうねきっと。
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表現の基準

2015-06-25 21:40:14 | 気になるコト
<和歌山電鉄>「たま駅長」死ぬ(毎日新聞)


このニュースに関して気になったことが一つある。
今朝の民放某局の朝ワイドでこのニュースが取り上げられた際、この記事のタイトルにもあるように「死ぬ」「死にました」という言い方がされたのだが、何故、人の場合は(例えばこちらのニュースのように)「亡くなる」とか「死去」、あるいは「逝去」という表現を使うのに、このニュースではそうじゃないのだろうと。

あくまでも、あくまでも個人的に思っていることなのだけど、私は人様と接する仕事をしていて、時には亡くなられた方に関することでご遺族とお話しする機会もあるのだが、その際には、「死ぬ」というダイレクトな表現は絶対に使うまいということを自分に課している。
それだけに、公のニュースで、人と動物とでかくも表現が異なっているのに接すると、人と動物でも、命の重さに差などあるはずがないのに、何だか、動物の方が軽んじられているように思えてならない。

多分だけど、メディアにはこの点に関して、何らかの基準があるのだろうと思う。それはそれで理解はする。
だけど、だけど・・・なんだよね、どうしても違和感を拭うことができない。
真相はどうあれ、私が「死ぬ」というダイレクトな表現は決して使わないということを今後も自分に課すことに変わりはないけどね。
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ついているのかいないのか・・・

2015-06-24 21:13:54 | 日々のもろもろ
どうもここ最近はついていない。

先週金曜日に出勤途中にカラスに襲われたと書いたが、二日後の日曜日には、車で走行中に、左の後輪にくぎを引っかけてしまい、そうとは知らずに給油に寄ったスタンドでそれを指摘され、そのままタイヤを交換する羽目に。(修理不可能な箇所を損傷していたため)
物は考えようで、スタンドに寄らなかったら、発見できないままタイヤをパンクさせたりして大変なことになっていたので、その点では運が良かったと言えるのだが、それでも予定にない出費が出たのはちょいと痛かった。

続いて今日は、通勤途中に、自転車の後輪に違和感を覚えたので、もしやと思って停めて見たら、案の定、思いっきりパンクしていた。
しかも、昼休みに職場近くの自転車店に持って行ったら、チューブ自体が損傷しているとのことで、チューブごと取り換える羽目となり、またしても出費が。
幾らボーナス前とは言え、ボーナスでも色々と出費を予定しているので、この、タイヤ損傷のダブルパンチは正直痛かった。
明日以降、何事もありませんようにと願うばかりだが、果たして・・・。

しかしその一方で、仕事では、ここ最近、難しいかと思われていた案件がいい方向に向かい続けているということが続き、相変わらず忙しいと言えば忙しいのだが、それほど疲れは酷くない。
特に今日は、ダメもとで電話しちゃえと思って電話をかけた先から、解決に繋がりそうな重要なヒントを得られるということが実に三件もあり、俄然やる気が出てきたのだが、その反面、何故もっと先にそこに電話しようと思い立たなかったかと、ちょっぴり後悔。
果たして本当にそこから解決に繋がるのかは明日以降になるけど、プライベートで悪運を使い果たしたので、仕事では・・・と信じて頑張るとするか。





写真は、子供の頃住んでいた八雲町のご当地キャラ「やくもっちぃ」。
八雲がもち米の産地であることから、もち米の精霊として誕生したキャラ。

実は3月までの職場で、回覧が回ってきた時に、自分の名前の欄に判を押したりチェックを付けたりするのではなく、適当な絵を描いて次の人へ回すのが流行っていたので、中学の時美術は2だった私も、いつの間にかそれに加わるようになったのだが、一緒に仕事をしていた人には何故か好評だったので、4月からも、時々描いてメールで送っていた。
このキャラも先日描いて送ったのだが、余りにも絵心がなさ過ぎるせいか、何を描いたか理解を得られずにちょいと残念。

今日は、とあるサイト(職場のPCでしか見られない職員限定のサイト)で見つけた、車を運転する熊さんの絵を描いて送った所、反応は「リラックマですか?」とのこと。
「リラックマって、名前しか知らないんですけど・・・」と思って調べてみたら、なるほどちょっと似てるかもと思ったので、これをお読みいただいている皆さんには、この辺りでもご覧になって、私がどんな絵を描いたか想像して頂けると幸いです。
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北海道発祥の地

2015-06-23 21:35:08 | 渡島・檜山地方
江差を離れて一年と三ヶ月。
本来なら、江差にいた時に紹介しておくべきだったスポットを、先日たまたま通ったので、思い出して紹介します。





場所は、国道228号沿い。
江差の隣の上ノ国町と、江差の境界付近に、こんな看板が立っているのです。

「北海道発祥の地」?
一体どういう意味なんでしょう?

上ノ国町の位置は、こちらを参照していただくとして、15世紀頃、江差や上ノ国、松前などがある渡島半島では、日本海側が「上ノ国」、太平洋側は「下の国」と呼ばれており、その後 北方交易の拠点として現在の日本海側が栄え、「上ノ国」の地名のみが残ったとされています。

その15世紀頃、渡島半島には、「館」という城館が10を超えるほどあったとされていますが、1457年、アイヌ民族と和人の争いとして知られる「コシャマインの乱」各地の館が次々と陥落する中、上ノ国の花沢館にいた蠣崎氏によって乱が鎮圧され、これがきっかけで支配権を確立した蠣崎氏の勢力は、江戸時代になり、正式に松前藩として認められることになりました。

そうした歴史を踏まえ、上ノ国は、和人による北海道開発の歴史の基点になった場所であるという意味で、「北海道発祥の地」と呼ばれているそうですが、「北海道」という地名が生まれた場所と誤解されるのを避けるため、「北海道史の発祥の地」と呼ばれることもあるそうです。

江差にいた頃から、何度となくこの前の道路を通り、「どういう意味なんだろう?」と思いながら通過していましたが、今回調べてみて、なるほどと納得させられるものがありました。





看板付近から見た日本海。
冬の荒れ方はとにかく凄まじいけれど、この時期は、青空ともよくマッチしていて、大変穏やかな海となっています。
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久しぶりに行ってみた

2015-06-21 21:47:21 | 渡島・檜山地方



久しぶりに、ちょっと思い立って、江差方面へ車を走らせてみました。





昨年5月に廃止になった、JR江差線の江差駅。
建物はこうして残されているけれど、中に入ることはできなくなっています。
この駅舎の建物も、取り壊されて跡地を再開発するやに聞いたような気もしますが、何とか、記念館的な活用の仕方でもできないかなと、元町民としては思ってしまいます。





かつての改札口。
残念ながら、ここも閉鎖されて、構内に入ることはできません。





同じ江差線の駅だった、湯ノ岱駅。
私にとっては、こういう出来事の舞台となったことで印象深い場所だけど、現在も、列車の代替路線として運行されている路線バスの待合所として活用されています。








ホームの様子。
駅名表示板が外されて、とても寂しい雰囲気になってしまった感があります。





駅近くの道路。
一見何の変哲もない道路のようだけど、実はここ、踏切の跡なのです。








こんな風に、踏切としての設備はそのまま残されています。





中には入れないけど、単管で閉鎖された線路敷地を見ることができる、なかなか貴重な場所です。





駅方面へも一枚。
湯ノ岱駅は有人駅で、上り下りの列車が待ち合わせる場所でもあったため、線路がこのように二つに分かれています。





そして、久しぶりに行ってきたこの温泉。
函館に戻ってきてからも、行こう行こうと思いつつ行っていなかった場所でした。
42℃、38℃、35℃の三つの浴槽があり、35℃のはジャグジーなんだけど、これがとにかく最高で、30分でも1時間でも入っていられるくらいの快適さは、函館市内や近郊の日帰り温泉にはない魅力があります。
またぜひ行ってきます。
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