龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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3/30(水)こんな夢を見た。

2011年03月31日 08時39分18秒 | 大震災の中で
街をひとりでさまよいあるきながら、お菓子とメモ帳、それにペンを探している。
街中のパサージュになっているショッピングモールを歩いている。
そこは二階建てになっているのだが、下に降りて外に出ようとすると、透明なガラスの天蓋に雨がポツポツと当たり始めているのが見える。
今雨に当たるわけには行かない。
この今の状況をメモしておかなければならないのだが、雨に閉じ込められてしまった。こうなったからには、今忘れてはならないことを、しっかりと記憶しておかなければ。

そのために部屋に人形を集めている。
記憶の外部化ということか。

しかし、月末には転勤でそこを引き払う必要が出できた。
送別会に出るのか、自分たちのプライベートな会合に出るのか、迷うところ。

部屋中に張り巡らされている細いロープに、自分の記憶を込めた荷物と、相手の荷物とを重ねて括り付けることが、今晩一緒に落ち合うシグナルになっている。
私は同僚の鈴木さんと落ち合うことにした。
皆で飲むより二人でこの最後の夜を過ごしたいのだ。
女の子と過ごしたいとは思わないようだ。

部屋を出て向かった日暮れのバスターミナルは、淋しい雰囲気だ。子供の頃住んでいた街に似ている。

あの、昼間メモ帳を探していたショッピングモールも、この町のどこかにあったのかもしれない。

しかし、今はバスに乗らなければ。

もうこの町でなすべきことは何も残っていないのだから。

気がつくと、前回は郊外の田んぼの中にある料亭の前座敷に家族が集まっていたのに、今回はその近くにある病院に入院する事になったらしい。
なぜ分かるかと言えば、空気の濃さ、濃度が同じなのだ。

今これを書いているこちら側の空気の濃さとは違う。異なった媒質で満たされた、固有の濃度が感じられる。

気がつくと病室で手術が始まろうとしている。
「心配はいりませんから」
と看護師に励まされ、腰椎に針を刺される。部分麻酔なのか、と一瞬思うが、

「大きく息を吸って」

と言われゆっくり息を吸うと、薄れていく意識の中で、こちら側の世界がぼんやりと見えてくるような気がする。

はっと気づくと手術はもう終わっていて、こちら側に戻って来た。
回診に来た医師から、大部分の臓器を摘出したからもう大丈夫だ、告げられる。
病名を尋ねると、多機能不全だという。

「でも、もうほとんど体の中が空っぽだから、心配は要らないよ」

そう言われて身体の中を触ると、確かに空洞になっている。だが、これで一体生きていけるのだろうか、と疑問に思ったところで、もう一度目が覚めた。