龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

3月21日(月)のこと<父親の死>

2011年03月22日 22時29分03秒 | 大震災の中で
ガソリンも入ったことだし、今日は父親の病院に車で行ける、と思っていたら、付き添っている母からすぐに病院へ、との電話があった。

取るモノもとりあえず病院に行く。

が、到着したときには、父は息を引き取っていた。

享年満91歳。大往生といっていいだろう。

年金を止める手続きや、大学病院への献体のやり方、自分の死去に朋なる口座凍結前に現金を下ろして準備しておくこと、などなど、全て自分で準備をし、指示をだしてからの永眠だった。
最後までマメな人でした。

震災の最中で葬祭場も人寄せができない。自宅に父親を運び、家族で見守りつつお通夜をする。
考えてみれば、昔はこうやって家で夜通しお線香を絶やさず酒など飲みながら「お通夜」をしたものだった。

祖父のときも、祖母のときもそうだったと記憶している。

近年の葬祭場ブームは、住宅事情や隣近所の互助組織の喪失などいろいろな理由があるのだろうが、幸か不幸かこの震災のせいでそういう場所も使えない。

家族で家に残っていたお酒(買いにいけないので!)をテーブルにずらりと並べて夜遅くまでiPhoneで撮影した父親の動画を肴にして飲み続けた。

家族で穏やかに見送るのは、なかなかにいいものだ。

葬祭場の営業の邪魔をするつもりもないし、会葬者が多いお葬式では望むべくもないのだろうが、私の父のように91歳まで生きてしまうと、知り合いもまた故障を抱えてどうせ遠くからはこれないし、第一知り合いも親戚も、同年代はほぼ先に逝ってしまっている。

家族のみでのお通夜、家族葬、意外にお薦めである



3月20日(日)その2<いわきに居残る決心>

2011年03月22日 22時18分16秒 | インポート
夕方、千葉に一時避難していた息子たちが、買い出しに持つを背負って、ガソリンも満タンにして戻ってきた。

本気で逃げるかどうかは、一にかかって原発の飛散放射能の深刻度による。

とりあえずは体勢を立て直して状況を見極める作戦を選択。

まあ、爆発的な事故が起こらない限りは、多少の放射線量ならばこの土地で暮らしていくつもりだ。

本当に60キロ圏内避難指示が出たなら、福島県の半分近くが事実上「地上から消える」事態になる。

この地に踏みとどまって復興まで視野にいれようとする人間にとっては、放射線量についての「危険」に過敏な反応には、正直うんざりする。

本当にどこまで踏みとどまれるのか、どこからどの程度のリスクが発生し、それを取るか捨てるかの基準をどこに置けばよいのか、ということを正確に知りたい。

落ち着いて事態を見守りたいと思う。

と同時に、自らの選択でリスク回避を優先して避難する人の決断も多としたい。
「逃げる」のが賢いのでも、ないし、「とどまる」のが単に愚かなのでもあるまい。
また、「踏みとどまる」のが勇気あるわけでもないし、「避難」するのが過剰な反応というのでもないだろう。

一元化された「正しさ」なんて、個々の「断片」にとってはほとんど意味をなさない。

大切なのは正確な情報による迅速かつ的確な状況の分析判断と、そこから、自分の未来をどう選択するかを、どんなに不可能にちかい隘路であっても、繰り返し決断していくことなのではないだろうか。

そんなことを考えながら、久しぶりに子どもたちと一緒に夕食を取る。
千葉でもガソリンは大分待たないと買えないそうだ。
いわんや「いわき」においてをや。

いつになったら物流が十分になるのやら。





3月20日(日)のこと<震災後、初めてガソリンを入れる>

2011年03月22日 22時06分46秒 | 大震災の中で
ようやく3時間近くならんでガソリンを2000円分入れることができた。

朝8時過ぎから列に並ぶ。軽自動車のエンジンをかけたり切ったりしながら長い下り坂をじりじりと下り、坂道の下にあるガソリンスタンドまで3時間ほどかけて下りていく。ガソリン残量とバッテリーとのせめぎあいであることは分かっていた。

ところが、2時間以上並んだところで、無念のバッテリー上がり。
自動車はスターターの時の電源が一番食うのを分かっていたつもりだったが、あのガガガガガとだけセルモーターが回る音を聞いたときには、「絶望」を久しぶりに味わった。

まあしかし、坂の途中で止まるのも癪だし、坂下の信号は右折車線もあって道が広いので、どうせならそこで車を寄せて止めようと、ニュートラルにして倍力装置の聞かないブレーキを思い切り踏みつつ、惰性で残りの坂を下っていく。

ガソリンスタンドの看板がようやく見えてきたところでついに完全停車。
普段ならGSの人を呼んで押していってもらえるぐらいの距離だが、今日は前後左右に給油待ちの車の列・列・列。
とても誰かに頼める状況ではない。

ダメもとで車を放置してスタンドまで歩いて行き、
「あのお、待っている間にバッテリーが上がってしまったんですが……」
とおそるおそる声をかけると、案の定
「どうしようもないね。昨日もそういう車がたくさんあったよ。なんとかここまで持ってきてもらえばどうにかするけど」
と余裕のない応対。

そりゃそうだ。交通整理もままならないほど車が集中し、しかも皆、きちんと静かに、しかし必死に順番を待っているのだから。

列がはけて、GS販売が一段落し、販売が終了するごろにもう一度助けてもらうしかないか、とあきらめかけて車に戻ろうとしたところ、交差点のところで通り過ぎる車と給油を待つくるまを仕分けしていた若者に、
「もしかしてスタンドの方ですか?」
と声をかけ、実はあそこでバッテリーが上がってしまっているのですが、と小声で呟くと、二人居た若い方のおにいちゃんが、
「じゃあ、おれが押しますから」
といって、交通整理を年配のスーツ姿の人に依頼して、一緒に車まで来てくれたのだ。

うーむ。ありがたくて鼻の奥が「つーん」となった。

幸い軽乗用車なので若い人一人でも十分押して貰えば動かせる。

バッテリーチャージを済ませ、併せて給油もしてもらって、GSを出る。

助けられるって、すごいことだ、とつくづく思う。

しかし、はたと気がついてみると、貴重なガソリンを入手したのに、バッテリー上がりを防止するためにはそのガソリンを使ってムダに走行しなければならない。

仕方がないから小名浜の様子を見ようと、車で15分ぐらい離れた港の方に車を走らせる。

海沿いの道に出たとたん、言葉を失った。
車がおもちゃのように折り重なり、屋根が丸ごと道路の方に飛び出し、その下に車が押しつぶされていたり。
海沿いの県立高校の正門も、車が流されてごちゃごちゃになったままだった。

小名浜の海沿い、いつもお客さんで賑わっていた魚屋さんが並ぶ通りが、10日ちかくたってもまるで廃墟のままである。

本当に恐ろしい光景だった。