ガソリンも入ったことだし、今日は父親の病院に車で行ける、と思っていたら、付き添っている母からすぐに病院へ、との電話があった。
取るモノもとりあえず病院に行く。
が、到着したときには、父は息を引き取っていた。
享年満91歳。大往生といっていいだろう。
年金を止める手続きや、大学病院への献体のやり方、自分の死去に朋なる口座凍結前に現金を下ろして準備しておくこと、などなど、全て自分で準備をし、指示をだしてからの永眠だった。
最後までマメな人でした。
震災の最中で葬祭場も人寄せができない。自宅に父親を運び、家族で見守りつつお通夜をする。
考えてみれば、昔はこうやって家で夜通しお線香を絶やさず酒など飲みながら「お通夜」をしたものだった。
祖父のときも、祖母のときもそうだったと記憶している。
近年の葬祭場ブームは、住宅事情や隣近所の互助組織の喪失などいろいろな理由があるのだろうが、幸か不幸かこの震災のせいでそういう場所も使えない。
家族で家に残っていたお酒(買いにいけないので!)をテーブルにずらりと並べて夜遅くまでiPhoneで撮影した父親の動画を肴にして飲み続けた。
家族で穏やかに見送るのは、なかなかにいいものだ。
葬祭場の営業の邪魔をするつもりもないし、会葬者が多いお葬式では望むべくもないのだろうが、私の父のように91歳まで生きてしまうと、知り合いもまた故障を抱えてどうせ遠くからはこれないし、第一知り合いも親戚も、同年代はほぼ先に逝ってしまっている。
家族のみでのお通夜、家族葬、意外にお薦めである
取るモノもとりあえず病院に行く。
が、到着したときには、父は息を引き取っていた。
享年満91歳。大往生といっていいだろう。
年金を止める手続きや、大学病院への献体のやり方、自分の死去に朋なる口座凍結前に現金を下ろして準備しておくこと、などなど、全て自分で準備をし、指示をだしてからの永眠だった。
最後までマメな人でした。
震災の最中で葬祭場も人寄せができない。自宅に父親を運び、家族で見守りつつお通夜をする。
考えてみれば、昔はこうやって家で夜通しお線香を絶やさず酒など飲みながら「お通夜」をしたものだった。
祖父のときも、祖母のときもそうだったと記憶している。
近年の葬祭場ブームは、住宅事情や隣近所の互助組織の喪失などいろいろな理由があるのだろうが、幸か不幸かこの震災のせいでそういう場所も使えない。
家族で家に残っていたお酒(買いにいけないので!)をテーブルにずらりと並べて夜遅くまでiPhoneで撮影した父親の動画を肴にして飲み続けた。
家族で穏やかに見送るのは、なかなかにいいものだ。
葬祭場の営業の邪魔をするつもりもないし、会葬者が多いお葬式では望むべくもないのだろうが、私の父のように91歳まで生きてしまうと、知り合いもまた故障を抱えてどうせ遠くからはこれないし、第一知り合いも親戚も、同年代はほぼ先に逝ってしまっている。
家族のみでのお通夜、家族葬、意外にお薦めである