子供の頃、エラリー・クイーンが一番好きだった。
小学校3年生か4年生の頃だったと思う(ということは1966年~7年ぐらい)。
小学校の図書室に、ミステリの全集が入ることになった。一度に購入されたのではなかったと記憶している。
配本されるに従って購入されていったのか、予算の都合で小出しに納入されたのかは分からないけれど、図書の係の先生に、クラスの本好きメンバーたちが
「次はいつはいるの?」
と心待ちにしていた。だから、その本が入荷したときにはもう大変である。
なんとか1番目に借りたいと思うものだから、情報収集が必要になる。
いつのまにか図書室に入り浸るようになっていった。
その中で一番強く記憶に残っているのがエラリー・クイーンの作品
『エジプト十字架の謎』
である。
今、ググったら、それは
あかね書房から出た『少年少女世界推理文学全集』
というシリーズでした。
間違いない。
でも、表紙の記憶はなくて、ハードカバーの変型版(ちょっと横長?)で、マットな手触りだったように覚えているのだが。
好きな人がいるんですねえ。
今40代半ばから50代にかけての海外ミステリ愛好者には、この時期このシリーズと図書館で出会った人が意外に多いのかもしれないな。
閑話休題。
週末はミステリを読んで過ごそうと思った。
ミステリなら、ブックオフにいけば1冊100円ほどでいくらでも手に入る。
先日も吾妻ひでおの日記(失踪日記刊行前のことを書いたもの、と裏表紙にはある)と一緒に、乾くるみと京極夏彦を買ってきた。
でも、今週はどうしてもエラリー・クイーンが読みたい、と思った。
幸いなことに、犯人はぜーんぶ忘れてしまっているから、『エジプト~』だろうが『ギリシア棺~』だろうが『スペイン~』だろうが『イタリア靴~』だろうが全然オッケーなのだが、
たまたま1冊だけ、読まないまま本棚に並んで20年ちかくそのままにしてあった
『九尾の猫』
が目に付いた。
なぜエラリーなのだろう。
もう、今の生活に嫌気がさして、引退して暖炉の脇でミステリを読むお爺さんになりたい、と思い始めたからだろうか。
あるいは現実逃避のために、甘美な小学生の図書館の思い出に引きこもりたいからだろうか。
もしかすると、先週末、『二流小説家』(ニューヨークで起こった連続殺人事件を扱ったミステリ。やはり作家が探偵になっている)を読み終えた後だからかもしれない。
いずれにしても、冬の夜、暖かい部屋で炒りたてのコーヒーと近所の美味しいケーキ屋さんから買ってきたアップルパイなんぞを伴侶にしてミステリを読むのはかなりの贅沢だ。
お酒を飲んでもいいのだが、それをやるとすぐに本をバタリと床に落としてしまうので、お時間(午後12時)前は酒は御法度。
ゆっくり何も考えずに楽しもうと思う。
さて、今ページを少しずつ繰っているところなのだが、びっくりしたことが一つ。
かつてはエラリー・クイーン(作中人物の小説家)に寄り添って読んでいたのに、エラリーの父親で、引退直前の警視リチャード・クイーンに感情移入してしまったのに驚いた。
「ディック・クイーンはもう年でそんな仕事は無理です」
連続殺人事件の特別捜査班の責任者に任命されたリチャードが、上司の本部長に言おうとした(そして言えなかった)セリフである。そのあと息子に
「わしはほとんど一生、忠実に警察のために働いてきた。もっと楽な仕事をあたえられてもいいんだ」
と愚痴を言う。
かつてはこんなところに気を引かれることは無かった(笑)。面白いものである。
さてでは、少々周囲が黄ばんできた文庫を、ゆっくり読み始めるとしましょうかね。
小学校3年生か4年生の頃だったと思う(ということは1966年~7年ぐらい)。
小学校の図書室に、ミステリの全集が入ることになった。一度に購入されたのではなかったと記憶している。
配本されるに従って購入されていったのか、予算の都合で小出しに納入されたのかは分からないけれど、図書の係の先生に、クラスの本好きメンバーたちが
「次はいつはいるの?」
と心待ちにしていた。だから、その本が入荷したときにはもう大変である。
なんとか1番目に借りたいと思うものだから、情報収集が必要になる。
いつのまにか図書室に入り浸るようになっていった。
その中で一番強く記憶に残っているのがエラリー・クイーンの作品
『エジプト十字架の謎』
である。
今、ググったら、それは
あかね書房から出た『少年少女世界推理文学全集』
というシリーズでした。
間違いない。
でも、表紙の記憶はなくて、ハードカバーの変型版(ちょっと横長?)で、マットな手触りだったように覚えているのだが。
好きな人がいるんですねえ。
今40代半ばから50代にかけての海外ミステリ愛好者には、この時期このシリーズと図書館で出会った人が意外に多いのかもしれないな。
閑話休題。
週末はミステリを読んで過ごそうと思った。
ミステリなら、ブックオフにいけば1冊100円ほどでいくらでも手に入る。
先日も吾妻ひでおの日記(失踪日記刊行前のことを書いたもの、と裏表紙にはある)と一緒に、乾くるみと京極夏彦を買ってきた。
でも、今週はどうしてもエラリー・クイーンが読みたい、と思った。
幸いなことに、犯人はぜーんぶ忘れてしまっているから、『エジプト~』だろうが『ギリシア棺~』だろうが『スペイン~』だろうが『イタリア靴~』だろうが全然オッケーなのだが、
たまたま1冊だけ、読まないまま本棚に並んで20年ちかくそのままにしてあった
『九尾の猫』
が目に付いた。
なぜエラリーなのだろう。
もう、今の生活に嫌気がさして、引退して暖炉の脇でミステリを読むお爺さんになりたい、と思い始めたからだろうか。
あるいは現実逃避のために、甘美な小学生の図書館の思い出に引きこもりたいからだろうか。
もしかすると、先週末、『二流小説家』(ニューヨークで起こった連続殺人事件を扱ったミステリ。やはり作家が探偵になっている)を読み終えた後だからかもしれない。
いずれにしても、冬の夜、暖かい部屋で炒りたてのコーヒーと近所の美味しいケーキ屋さんから買ってきたアップルパイなんぞを伴侶にしてミステリを読むのはかなりの贅沢だ。
お酒を飲んでもいいのだが、それをやるとすぐに本をバタリと床に落としてしまうので、お時間(午後12時)前は酒は御法度。
ゆっくり何も考えずに楽しもうと思う。
さて、今ページを少しずつ繰っているところなのだが、びっくりしたことが一つ。
かつてはエラリー・クイーン(作中人物の小説家)に寄り添って読んでいたのに、エラリーの父親で、引退直前の警視リチャード・クイーンに感情移入してしまったのに驚いた。
「ディック・クイーンはもう年でそんな仕事は無理です」
連続殺人事件の特別捜査班の責任者に任命されたリチャードが、上司の本部長に言おうとした(そして言えなかった)セリフである。そのあと息子に
「わしはほとんど一生、忠実に警察のために働いてきた。もっと楽な仕事をあたえられてもいいんだ」
と愚痴を言う。
かつてはこんなところに気を引かれることは無かった(笑)。面白いものである。
さてでは、少々周囲が黄ばんできた文庫を、ゆっくり読み始めるとしましょうかね。