10月15日(月)曇り【東京タワー】
今日は芝の増上寺において、さまざまな宗教団体に所属する研究所(教団付置研究所)の懇話会があった。その内容の公表は発表者の論文発表に拘わるかもしれないので、ここに報告は控えるが、他宗の方々との交流は学術的なことだけでなくとも、ますますグローバル化していく世界の動きを見たときに当然必要な交流であると思う。一宗一派に凝り固まらない視点を持つことは、日本の平和、ひいては世界の平和のために大事なことであろう。特に宗教の違いによって、紛争が世界のあちこちで起きている現状を見たとき、日本にはそのようなことが起きないように、宗教間の繋がりを持って、お互いに助け合い理解しあうことが、必要な時代なのだと思う。
教義の違いで争うことがないのが原則であろう。神の唯一性を説くイスラム教の人々もいつか懇話会に加入するときがくればよいのだが。日本にも多くのイスラム教の人が増えているのだから。教義的に難しい問題もあるだろうが、決して争いを望んでいる宗教ではないはずだ。
さて、増上寺からの帰りに、きれいなバラに出会ったので、東京タワーを背景に撮ってみた。まだ東京タワーには昇ったことがない。母と一緒に昇ろうかと思ったら、母は二度も昇っているという。リリー・フランキーさんの『東京タワー』のおかんは私の方だった。タワーの目の前に勤めているというのに、まだ一度も昇っていないとは。いつか必ず東京タワーに昇って、東京を見てみよう。(バラがあまりきれいに映っていませんでした。やはり肉眼には、我が撮影の腕前は及びません)
今日は芝の増上寺において、さまざまな宗教団体に所属する研究所(教団付置研究所)の懇話会があった。その内容の公表は発表者の論文発表に拘わるかもしれないので、ここに報告は控えるが、他宗の方々との交流は学術的なことだけでなくとも、ますますグローバル化していく世界の動きを見たときに当然必要な交流であると思う。一宗一派に凝り固まらない視点を持つことは、日本の平和、ひいては世界の平和のために大事なことであろう。特に宗教の違いによって、紛争が世界のあちこちで起きている現状を見たとき、日本にはそのようなことが起きないように、宗教間の繋がりを持って、お互いに助け合い理解しあうことが、必要な時代なのだと思う。
教義の違いで争うことがないのが原則であろう。神の唯一性を説くイスラム教の人々もいつか懇話会に加入するときがくればよいのだが。日本にも多くのイスラム教の人が増えているのだから。教義的に難しい問題もあるだろうが、決して争いを望んでいる宗教ではないはずだ。
さて、増上寺からの帰りに、きれいなバラに出会ったので、東京タワーを背景に撮ってみた。まだ東京タワーには昇ったことがない。母と一緒に昇ろうかと思ったら、母は二度も昇っているという。リリー・フランキーさんの『東京タワー』のおかんは私の方だった。タワーの目の前に勤めているというのに、まだ一度も昇っていないとは。いつか必ず東京タワーに昇って、東京を見てみよう。(バラがあまりきれいに映っていませんでした。やはり肉眼には、我が撮影の腕前は及びません)