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山口の旅2-山口 瑠璃光寺の五重塔

2007-10-28 21:12:51 | Weblog
10月28日(日)晴れ昼少し暑し【山口の旅2-山口 瑠璃光寺の五重塔】

瑠璃光寺の五重塔は国宝である。檜皮葺の屋根の重なりが美しい。法隆寺の五重塔、醍醐寺五重塔と並んで、日本の三名塔の一つである。大寧寺の岩田老師にお勧めいただいたので、お参りしたのだがお参りしてよかったと思っている。周りの緑の山々を背景にすっきりと聳えたつ姿は、まことに美しい。高さは31、2メートルだそうである。

五重塔は、25代義弘が応永の乱(1399年)で足利の幕府軍に敗れて戦死した後、弟の26代盛見もりはるが、義弘の菩提を弔うために建立に着手した。完成したのは28代の教弘のときで、嘉吉2年(1442)である。

この頃器之禅師は大寧寺の住職である竹居禅師のもとにいたか、もしくは周防の龍文寺にいた可能性もある。龍文寺の住職になったのは文安2年(1445)である。瑠璃光寺の開山は器之禅師の弟子の大庵須益だいあんしゅえき又はしゅやく禅師(1406~1473)である。師匠の器之より先に住職になっているのはおかしいが、瑠璃光寺の歴史は少しこみいっている。

瑠璃光寺自体はもと安養寺と称し文明3年(1471)の開創である。開基は陶弘房の夫人。五重塔は香積寺というお寺が現在の香山町にあった時代に建てられた塔である。香積寺は毛利氏の時代に萩に移築されている。しかし五重塔は移さないで欲しいという町民の嘆願によって現地に残されたのだという。それは元和2年(1616)のことであるという。そして瑠璃光寺はその後香積寺の跡地に、元禄3年(1690)に仁保という土地から移築されたのだという。もと香積寺五重塔であったが、元禄3年より瑠璃光寺五重塔と呼ばれるようになったということである。

瑠璃光寺も中国地方三ヵ寺の一つとして僧録司がおかれ、末寺170ヵ寺があったのである。

瑠璃光寺の開山、大庵須益については今年一年かけてこの禅師の上堂語や行状について研究したので、やはり参拝に伺ってよかったと思っている。実際に目にして実感することが多いし、文字の上だけだった世界が立体的に頭の中で構築されなおす感じがある。瑠璃光寺をお参りした後、いよいよ器之禅師の示寂の地となった龍文寺に向かった。どのようなところであるか、わくわくするような思いがした。