「宇宙戦争」(The War of the Worlds)といえば幼い頃に読んだH.G.ウェルズ(Herbert George Wells)の本と往年の白黒映画を思い出す。「透明人間」( Invisible Man)とか「タイムマシン」(The Time Machine)とか胸をときめかせながら読んだものだった。
あの頃はとても読めなかった英文原作から興味を惹かれた初めの部分をふりかえってみよう。
それがこの作品の通奏低音のように響いて作者の創作意図であったように感じるのだ。
こんな書き出しである。
The War of the Worlds
by H. G. Wells [1898]
But who shall dwell in these worlds if they be inhabited? . . . Are we or they Lords of the World? . . . And how are all things made for man?-- KEPLER (quoted in The Anatomy of Melancholy)
( 意訳)
「しかしながら、だれがこの世界に生きながらえるのだろうか、もしかれらが住むとしたら?
世界の主はわれわれかさもなくばかれらなのか?
そしていかにしてすべてのものが人類のために作られたというのか?」
英国国教会の聖職者ロバート・バートン(Robert Burton)の1621年出版の書籍 The Anatomy of Melancholy(憂鬱の研究)からケプラーが引用したこの意味深長なフレーズから小説は始まる。
このフレーズは人々の空想を刺激するので
バート・ゴードン(Bert I. Gordon)監督の巨大ネズミが人を襲うB級映画「The Food of the Gods」(神の食物)にも使用された。
そして小説は以下のように続く。
BOOK ONE (書一)
THE COMING OF THE MARTIANS (火星人襲来)
CHAPTER ONE (第一章)
THE EVE OF THE WAR (開戦前夜)
No one would have believed in the last years of the nineteenth century that this world was being watched keenly and closely by intelligences greater than man's and yet as mortal as his own; that as men busied themselves about their various concerns they were scrutinised and studied, perhaps almost as narrowly as a man with a microscope might scrutinise the transient creatures that swarm and multiply in a drop of water.
(意訳)
「だれも19世紀の最後の年々に世界が人類より高等な知性体によって熱心に厳密に見つめられていたとは信じなかっただろう。人が顕微鏡で一滴の水の中て群をなし増殖した微生物を仔細に観察するように人々は自身が滅ぶべき運命にあるというのに(異星人によって)綿密に調べ研究された、さまざまな関心事にいそがしくしていた」
映画の導入部はこの描写に忠実に顕微鏡で観察する微生物の拡大シーンが使用されていたのだった。
あとのストーリーはさまざまなシチュエーションで主人公たちが異星人と戦い逃げ延びるというパニックものの典型なのだがわたしにはこの英文で引用した部分が最も重要だった。
ウェルズには特別な勘があった。
かれが小説「開放された世界」(TheWorld Set Free)でラジウムの崩壊加速による核反応が新型爆弾になると書いたことから1942年12月2日マンハッタン計画の中心物理学者レオ・シラードLeo Szilardとエンリコ・フエルミはシカゴ大で最初の制御された連鎖反応炉を作り原爆を開発したのであった。
「事実は小説より奇なり」というがウェルズの小説は時代を先走りリードするものであった。