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力道山
社会 世界 歴史
/
2005年12月13日
12月8日に起こった事件、事故として、
太平洋戦争勃発、ジョン・レノン射殺、高速増殖炉「もんじゅ」事故について述べたが
戦後日本最大のヒーロー、力道山のことを書き漏らしていたので今回述べておこう。
かれは1963年12月8日に、赤坂のキャバレーで暴力団員に刺されて入院、その傷が元で12月15日に他界した。
朝鮮日報は「薜景求(ソル・ギョング)、中谷美紀主演の映画『力道山』は日本の配給会社関係者から最高の賛辞を得たのに続き、9日に行われた釜山国際映画祭の公式イベント「力道山の夜」以降、米国やヨーロッパの映画会社からもラブコールが殺到している。 戦後、日本で英雄として称えられた韓国人プロレスラー力道山の生涯を描いた映画『力道山』は、8月15日にクランクアップして現在は編集作業などが行われており、力道山の41回目の命日にあたる12月15日に公開される予定だ」と報じている。
日本では来年、2006年3月4日より全国ロードショーということである。
力道山本人は自分でも数々の映画に出演していた。
1955年「力道山物語 怒涛の男」
1956年「力道山 男の魂」
「1956年怒れ!力道山」
1957年「純情部隊」 など。
先日、BSでかれの出演作を一挙に放映していた。
そのうち「怒れ!力道山」では鉄砲、日本刀で武装したヤクザとキャバレーで格闘して力道山が負傷する場面があった。まるでその7年後の事件を前もって演じているようで不思議な気がした。映画では回復したが現実は違う結末を用意していた。深傷(ふかで)ではなかっはずなのにあの鍛え抜かれた男があっけなく亡くなってしまった。
その経歴は
公称では 大正13(1924)年11月14日生まれとなっているが
朝鮮半島時代に結婚し、妻子があったことから公称生年月日より早く生まれている可能性がある。
公称身長は180cm、実際には176cm116kg。
本名、金信洛「キム・シンラク(シルラクと発音)」。
金信洛から姓が金村になり
長崎県大村市の農家百田家と養子縁組をして百田光浩となる。
出身地 長崎県大村市(旧 長崎県東彼杵郡、
出生地は朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道(旧 朝鮮咸鏡南道))
昭和15(1946)年に二所ノ関部屋に入門し初土俵。
24(1949)年に関脇に昇進するが、翌25(1950)年に自ら包丁で 髷(まげ)を切り廃業。
廃業直前の成績は小結で10勝5敗、関脇で8勝7敗。大関取りの場所前の突然の廃業の理由ははっきりしないが、日本人でなければ横綱にはなれない、という民族の「壁」と目されている。
力士廃業後、昭和(26(1951)年にプロレスに転向する。1952年に渡米し、翌年帰国して日本プロレス協会を設立する。昭和28(1953)年にテレビ放送の草創期が重なり伝家の宝刀、空手チョップで日本中のヒーローとなる。
かれ力道山は朝鮮半島出身であることを周囲に隠して生きていた。
実の息子、百田義浩、百田光雄両氏は父の死後にそのことを知ったということである。
この話しにわたしは目頭が熱くなる。敗戦後の日本人に夢を与えたスーパーヒーロー力道山は自分の子供たちにも自らの故郷を明かすことができなかった。そんな時代であった。
リング上で映画の中でかれは正義の日本人としての自身のペルソナを演じ実生活でも演じきったのである。
相撲界も今は様変わりして外国人横綱が当たり前になってしまった。力道山が格闘した民族の壁など見当たらない。しかしその壁がプロレスという新しいスポーツを日本に導入するきっかけになったのだから今頃、かれは苦笑しているだろうか。なにか新しい物が生まれるときは大きな障害が必要なのだろう。それを超えたときなにかが始まるのだ。
fumio
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