monologue
夜明けに向けて
 



1979年から90年まで英保守党政権を担い「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー英元首相(80)が現在本も読めない状態であるという。「文末まで読むうちに文章の始めを忘れてしまう」ため、あまり文章を読まなくなったとのことだ。
かの女は軽い脳卒中を起こして2002年に政界を事実上引退している。
脳卒中の後遺症のようだが、
わたしはふと先日見た映画「きみに読む物語」を思い出した。

原作はニコラス・パークスのベストセラー小説「Note Book」。
老いて認知症になった妻の治療のために夫が自分たちの若き恋人時代の愛の物語を読んで聞かせ続ける。というものなのだが果たしてこの妻がサッチャー英元首相の状態であればこの物語は成立しないのでは、と思った。
記憶にはパソコンのメモリーのように短期記憶、長期記憶があってそれぞれに格納する脳の部位が異なる。
脳卒中とはどういうものかわたしの経験を「炎で書いた物語」から以下にコピーしておく。
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1991年11月29日午後三時

 その日、ぼくは自宅で自作の歌を何度も録音し直してヘトヘトになった。
これだけ歌っても満足できるものが録れないのは早い話が歌が下手なのだ、
という簡単な結論にたどり着いて熱い風呂に入った。
長くつかり過ぎていたらしい。
湯あたりでボーとしてきた。風呂からあがろうとしても立ち上がれなくなっていた。
どうしたことか足が風呂桶の高さを越えない。
否応なく腿上げ運動を果てしなく続ける羽目に陥った。
このとき、ぼくの心臓はフル回転していたことだろう。
まわりのありとあらゆるものにすがりつきもがいた。
それまで蟻地獄に堕ちた蟻の気持ちを察してやるほどの
やさしさはもちあわせてなかったが、
今は少しは察してやることができそうだ。
頭がのぼせて足で風呂桶をまたぐのはもう無理になっていた。
そのまま洗い場に倒れ込んで脱出した。

「鳥人ブブカでさえ予選のバーが越えられない日もあるのだ」
尺取虫のように壁際まで進んで湯気の中でのびていた。
そのとき、息子が学校から帰ってきて風呂場に倒れているぼくを見つけた。
ぼくは頭が痛いと訴えたという。痛かったかどうか、はっきりしない。
ソファベッドに横たえられてそのまま寝入った。

 翌朝、妻と息子はいつも朝早く起きるぼくがいつまでも寝たままなので不審に思った。
ぼくの顔を覗き込むと白眼をむいている。
息子はぼくが冗談でやっているのか、と怪しんだという。
普段、そのくらいのことはしかねないと思われている。
それはこんなとき、まずい。

 それでも、尿失禁に気づいたとき、
いくらなんでもそこまでは冗談をしないと思ったことだろう。
妻が住所を教えて受話器を置く前に救急車のサイレンが聞こえた、という。
救急車の中で妻はなるべく費用の掛からない病院を探してくれ、と頼んだ。
救急隊員はそんな余裕はない、脈が弱まってとぎれかかっている、とあせって応えた。
それで運び込まれた最寄りの病院が東川口病院であった。

 医師が頭を開くと血液が脳全体にまわっていた。
脳内出血だった。妻はその血の量に愕然とした。
出血後、二三時間置いておいても危ないのに一晩寝ていたので広範囲に血がまわってしまったらしい。
息子は子供だということでぼくの脳を見せてもらえなかったことを悔しがっていた。
人の脳の内部を眼にする機会というのはそうはないだろう。
別にそんなもの見たところでどうということはないと思うが
かれの無念さがある程度理解できなくもない。

 脳の手術中、息子は妻に不安そうに尋ねた。
「お父さん、レナードみたいになるの?」
レナードとは、少し前に観た映画「レナードの朝」の主人公のことだった。
ロバート・デニーロが脳の機能がうまくはたらかない人を好演していたので
息子にはその姿が衝撃的に焼き付いていた。
妻は答えに困った。ふたりで不安を抱えて手術の終わるのを待った。
手術後の回復期、ぼくは大暴れして人々に迷惑をかけたという。
点滴に鎮静剤を入れられておとなしくさせられた。
幸い都合の悪いことはなにも憶えていない。
「退院したら、ぼくは崇凰(すうおう)という名前で龍神として勞(はたら)く」
と見舞いに来た妻に宣言したことは憶えている。
妻は、とりたてて驚くでもなく、ああそう、とあっさり受け流した。
それだけでしまいだった。それで充分だった。
結局、退院後もそんな名前は使用したことがないのだから…。
一時の気の迷いだったのか。

 脳の中身が治るまでの間、右脚の太腿に貯蔵のために埋めてあった頭の骨を
元の切り取った箇所に填(は)め込む手術はクリスマスの日に行われた。
切り取られた骨は冷蔵庫などに保存するより自分の体にしまっておく方が腐敗などしにくいので
太腿に埋めて保存してあったのだ。
将来いつの時代にかぼくの頭蓋骨が土から掘り出されるようなことがあれば
この時代にもこれだけの脳手術をするだけの技術があったとの見本にされるだろう。
それとも、やはり二十世紀にはこんな野蛮な方法で頭の骨を切っていたと思われるか。
 今でもあの時、麻酔が効くまでの間に見つめた無影灯が眼に浮かぶ。
この世で最後に見る灯かりかも知れないとなんとはなしに不安を感じたのだ。
時折、今もあのまま目覚めていないのではないか、とフト思う。

こうして、ぼくは頚椎損傷の後遺症に加えて脳卒中の後遺症も抱えて
その後の人生を生きることになった。
なんのこっちゃ、
これではとうてい、めでたしめでたし、とは言えないようだ。
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以上、これがわたしの場合の体験なのだが
記憶がどうなったかといえば毎日使用していた音楽コンピューターに音符をどのように打ち込めばいいのか忘れた。そして部屋の蛍光灯が暗く感じて妻に全部取り替えて貰った。世界全体が暗く感じたようである。
明暗を感じる部分がおかしくなったらしかった。
少しずつ少しずつ進む毎日を積み重ねて現在は、ショートメモリーもロングメモリーも回復してこうして文章を書いている。
脳は損傷して一時的に使用不能に陥っても欠けた部分を他の部分が補ってくれるようだ。
どんなときもあきらめずになにかをやりつづけていればいつかは報われる。
「きみに読む物語」の夫のだれも回復しないと思う認知症の妻に物語を読んで聞かせ続ける行為はそのことを示していた。他人から見て虚しい努力も実は計り知れない希望への扉なのだ。
fumio



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