monologue
夜明けに向けて
 



今年3月15日、月曜の朝、裏に鶯(うぐいす)がやって来てきれいな声で鳴いていた。
テレビやラジオで聴く「ホーホケキョッ」というほれぼれするような美しい声だった。その姿は視認できなかったのでだれかがテープレコーダーで流しているのかと疑った。

 そして4月11日、日曜の朝、鷺(さぎ)が裏の家の屋根にとまっていた。近くの綾瀬川あたりに住んでいる鷺が羽根休めしているのかと思った。妻に写真を撮られるとしばらくしてどこかに飛び立って、午後にまたとまっていた。まるでわたしたちにその姿を見せつけるように。そして4月18日、日曜朝8時頃裏の家の屋根にまたやって来た。以来姿を見せない。なにが言いたかったのかと思う。なにの兆しなのか。鳥の姿を借りてだれがやってきたのか。これだけのヒントでわたしに解読させるつもりなのだろうか。
どうだわかるかと挑まれたようである。

 むづかしいけれどやってみよう。鵜と鷺であればウサギで宇佐の気であるニギハヤヒなのだろうが鶯(うぐいす)鷺(さぎ)ならウサギの音は入っているがすこし外れているようだ。「ウグイスサギ」つまり「うぐいスサギ」で須佐の気ということだろうか。結論としては素盞嗚尊さんがウグイスとサギの姿で様子を見に来たと解読しておこう。はたして合っているのだろうか。
fumio

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