明治天皇の陵(みささぎ)は遺言によって、京都府京都市伏見区桃山町の豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地に墓所が営まれた。わたしは渡米前その陵のそばの桃山高校に毎日通いバンドの練習をした。それで明治天皇にはなにか親しみを感じる。秀吉が隠居後の住居として建築し家康が政務に使用した伏見城が後に桃を植えて桃山城と呼ばれるようになったというのは興味深い。なぜ明治天皇は陵(みささぎ)をこの地に置きたかったのだろうか。天下人、秀吉家康と霊界でともに日本の行く末を見守りたかったのだろう。
fumio
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