monologue
夜明けに向けて
 



太安万侶が万葉仮名で記した原文
「最後、其妹伊邪那美命、身自追來焉。爾千引石引塞其黄泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸之時、伊邪那美命言「愛我那勢命、爲如此者、汝國之人草、一日絞殺千頭。」爾伊邪那岐命詔「愛我那邇妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋。」是以、一日必千人死一日必千五百人生也。故、號其伊邪那美神命、謂黄泉津大神。亦云、以其追斯伎斯而、號道敷大神。亦所塞其黄泉坂之石者、號道反大神、亦謂塞坐黄泉戸大神。故、其所謂黄泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。」


最後(いやはて)に其の妹伊邪那美命、身自(みずか)ら追ひ来りき。 ここに千引(ちびき)の石(一八)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、 その石を中に置きて、各對(おのおのむか)ひ立ちて、 事戸(九十)を度(わた)す時、伊邪那美命
言ひしく、 「愛(うつく)しき我が汝夫(なせ)の命、かく為(せ)ば、 汝(いまし)の國の人草、一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さむ。」といひき。 ここに伊邪那岐命詔(の)りたまひしく、 「愛しき我が汝妹(なにも)の命、汝然為(いまししかせ)ば、 吾一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)立てむ。」とのりたまひき。 ここをもちて一日に必ず千人(ちたり)死に、一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるなり。 故、其の伊邪那美命を號(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神と謂ふ。 また云はく、その追(お)ひししきしをもちて、道敷(みちしき)大神と號(なづ)くといふ。 またその黄泉の坂に塞(三八)りし石は、道反之(千がへしの)大神と號け、 また塞(三八)り坐す黄泉戸(四三十)大神とも謂ふ。 故、其の謂はゆる黄泉津比良坂は、今、出雲国の伊賦夜(一二八)坂と謂ふ。」
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「その追(お)ひししきしをもちて、道敷(みちしき)大神と號(なづ)く」というのだが、その「道敷(みちしき)大神」という名前が何のことかわからず古事記成立以来の謎。
稗田阿礼が「ミチシキオオカミ」と発音するのを太安万侶は「道敷大神」と写した。誤写なのかわざとなのか。
同じ場面を「日本書紀」原文からコピーすると「又投其履。是謂道敷神。
其於泉津平坂。或所謂泉津平坂者。不復別有處所。但臨死氣絶之際、是之謂歟。
所塞磐石、是謂泉門塞之大神也。亦名道返大神矣。」となっていて「履(はきもの)」の名前が「道敷大神」である。

「道敷大神」という文字の封印にとらわれず、われらが母、イザナミの心に沿って「ミチシキオオカミ」という音だけを目を閉じて心の耳を澄まして繰り返してみる。夫のイザナギは氣の存在で縦、イザナミは水の存在で横、その縦と横が交わって十字になる。イザナミは愛する夫に追いついて満ち足りて「満ちし氣大神」となったのだ。イザナミは横の一の水の存在から氣の「米」の縦横斜めに放射するエネルギーの存在となったのである。黄泉津(よもつ)大神としておどろおどろしい存在として認識されてきたイザナミの道敷(みちしき)の封印が解けて本来の「満ちし氣大神」として活躍する時が来た。
fumio

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