太安万侶が万葉仮名で記した原文
「且後者 於其八雷神 副千五百之黄泉軍 令追 爾拔所御佩之十拳劒而 於後手布伎都都逃來 猶追 到黄泉比良坂之坂本時 取在其坂本桃子三箇待擊者悉逃迯也
爾伊邪那岐命告其桃子 汝如助吾 於葦原中國所有宇都志伎青人草之落苦瀬 而患惚時可助 告賜名 號意富加牟豆美命」
且後(またのち)には、その八はしらの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(四三つ五九三)を 副(そ)へて追はしめき。ここに御佩(はか)せる十拳劒(とつかのつるぎ)を抜きて、 後手(しりへで)に振(ふ)きつつ逃げ来るを、なほ追ひて、 黄泉比良坂(四三つ平(一八十)の坂本(さかもと)に到りし時、 その坂本にある桃子(百の三)三箇(みつ)を取りて、待ち撃(う)てば、 悉(ことごと)に迯(に)げ返りき。ここに伊邪那岐命、その桃子に告(の)りたまひしく、 「汝(なれ)、吾(あれ)を助けしが如く、葦原中國(あしはらのなかつくに)に あらゆる現(うつ)しき青人草(あをひとくさ)の、苦しき瀬に落ちて患(うれ)ひ愡(七八)む時、助くべし。」 と告(の)りて、名を賜ひて意富加牟豆美(おほかむづみ)命と號(い)ひき。
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人が苦しみなやむ時助けるように桃にイザナギが名づけ、稗田阿礼がその名を「おほかむづみ」と発したのを太安万侶は「意富加牟豆美」と記した。本居宣長の『古事記伝』では「大神の実」と考えられたが、万葉仮名では「美」の発音が乙類で「実」は甲類なので実ではなく「大神の霊威(みいつ)」と考えられる。
古事記の作者が黄泉の国の入り口を「黄泉比良坂」として「よみつひらさか」と読まず「よもつひらさか」と読ませるのは「よ百つ平逆」の意。その意に沿って「平」を逆にすれば「戸ハ一」でこの磐戸の戸は一なのである。一が戸になっている文字として登場するのが「百」なのである。一は白(ハク)の蓋になっている。『一二三四五六七八九十』を『人フタ見よ、いつ無に為すやここの戸を』と解いてその磐戸の戸は一で、スサノオの霊数八とニギハヤヒの霊数九(白八九ハク)を封印しているのである。古代にはこのような見立てが呪力を持っていたのである。この一の戸を無になさねば…。
fumio
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