monologue
夜明けに向けて
 



今日はゴーマン美智子(Miki Suwa Gorman 、旧名:諏訪美智子)さんの命日。
昨年、右足腓骨を骨折して入院中のわたしにゴーマンさんが9月19日に80歳で亡くなった、と妻が新聞記事を持ってきてくれた。命日の9月19日といえば、その日、大塚真代作業療法士(OT)とのリハビリ中スポーツの話をしているうちに大塚OTがホノルルマラソンを目指している、というのでわたしはゴーマン美智子という人がボストンマラソン、ニューヨークシティマラソンで2回ずつ優勝してその活躍が「走れ、ミキ」という本やドラマになって現在の女性アスリートブームの草分けになったと話した。ゴーマンさんのことを思い出したのはずいぶん久しぶりだった。あの日9月19日にゴーマンさんは亡くなって、わたしたちにマラソンの話をさせて自分の死をわたしに報せに来たのだと感じたのだった。

わたしが初めてゴーマンさんを見たのは1980年代半ばで妻と息子との散歩中だった。VONSというスーパーマーケットに立ち寄って帰りにオリンピック通りを走っている女性を見かけた。その女性がゴーマン美智子さんだった。かの女は当時ロサンジェルスの日本語学校「羅府第二学園」の先生をしていた。息子をその学校に入れて日本語を教えてもらううちに交流が始まってゴーマンさんはクリスマスの学芸会で「一寸法師」の劇を息子を一寸法師の役にして上演すると言い出して脚本を書いた。わたしは音楽を担当して妻は背景の清水寺の絵を描いて草むらなどの小道具を担当した。その劇は評判を呼び、方々から頼まれてオレンジカウンテイなどを巡演した。別れた米国人の夫に娘の美嘉(みか)ちゃんがクリスマスプレゼントにパソコンをもらったけれど印刷の仕方がわからない、というのでわたしはマニュアルを読んで「print」と打ち込むことを美嘉ちゃんに教えたものだった。わたしたちが日本に帰る時ゴーマンさんは自分の特製マラソンシューズを妻に記念にくれた。
ゴーマンさん、日本語学校の学芸会や運動会は楽しかったね。
今日は赤飯を炊いて供えますから一緒に食べましょう。合掌…。
fumio



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )