ここに伊邪那岐命、 見畏(かしこ)みて逃げ還る時、其の妹伊邪那美命、「吾に辱(はぢ)見せつ。」と言ひて、 即ち黄泉醜女(四三つ四五め)を遣(つか)はして追はしめき。 ここに伊邪那岐命、黒御鬘(かづら)を取りて投げ棄(う)つれば、 すなはち蒲子(えびかづらのみ)生(な)りき。こを擾(ひろ)ひ食(は)む間に、逃げ行くを、 なほ追ひしかば、またその右の御角髪(三三づら)に刺せる湯津津間櫛(ゆつつま九四) を引き闕(か)きて投げ棄(う)つれば、すなはち笋(たか六七)生りき。 こを抜き食む間に、逃げ行きき。 且後(またのち)には、その八はしらの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(四三つ五九三)を 副(そ)へて追はしめき。ここに御佩(はか)せる十拳劒(とつかのつるぎ)を抜きて、 後手(しりへで)に振(ふ)きつつ逃げ来るを、なほ追ひて、 黄泉比良坂(四三つ平(一八十)の坂本(さかもと)に到りし時、 その坂本にある桃子(百の三)三箇(みつ)を取りて、待ち撃(う)てば、 悉(ことごと)に迯(に)げ返りき。ここに伊邪那岐命、その桃子に告(の)りたまひしく、 「汝(なれ)、吾(あれ)を助けしが如く、葦原中國(あしはらのなかつくに)に あらゆる現(うつ)しき青人草(あをひとくさ)の、苦しき瀬に落ちて患(うれ)ひ愡(七八)む時、助くべし。」 と告(の)りて、名を賜ひて意富加牟豆美(おほかむづみ)命と號(い)ひき。
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「見畏(かしこ)みて三か四五三て」イザナギイザナミは日向族なので三が象徴数。
四五は死後の世界。文字はやはり「畏」で田(十字と卍)を選んでいる。「辱(はぢ)」は八で出雲の象徴数。
醜女(四五め)は醜い女ではなく死後の世界の女。「黒御鬘(かづら)」でもやはり田の入る文字を選んでいる。
イザナギの行動は日向系の象徴数、三で彩っている。 御美豆良(みみづら)、御角髪(みみづら)などで、みみ(三三)を使用している。ヒミコの長男の名前、忍穂耳も耳(三三)が日向系の印しだからつけられ、 近くを流れる川も耳川と名付けられた。
蒲子(えびかづらのみ)のように子をネと読まずミ(三)と読むの もミと読むことで日向を示している。
一見、日向と関係なさそうな笋(タカむな)が生えるのは 日向族は子供の名前に高日子根や高姫、などのように 高(タカ)を好んでつけたからである。
桃子(もものみ)三箇(みつ)は、日向族が自らを桃になぞらえ「百」 をかれらの象徴にしていたから。 このことがのちの桃太郎(日向)の鬼(出雲)退治の童話の下地になる。
fumio
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