sekiの徒然日記

旧布野村に週末帰農を始めて18年で遂に解散。今後は尾道からsekiの徒然日記として再スタート。

大先輩の死を悼み      布野ダッシュ村尾道分村発

2009-05-22 15:32:28 | その他
    ↓ 布野ダッシュ村 村長からのお願い1日1回ポッチと願います。
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 今日、大先輩で師と仰ぐ「高垣 等」さんのお葬式に参列、さすが「ひとッ」さん、大勢の参列者で賑やか?でした。

 故高垣等さんは労働運動から入られ、尾道市会議員7期か8期その間ライフワークとされていた身体障害者の方の助産施設の建設に尽力され、「瑠璃の館」を誘致・建設され運営に当たられてました。

 また、2年半くらい前には長年のそーいった活動に対し「厚生労働大臣表彰」を贈られ、皆さんで祝福したものです。

 その高垣等さんと私の出会いは、30数年前 当時労働運動に身を投じたばかりで何も分からない私を、尾道地区労働組合(現在の尾道地評)の事務局長として指導して頂いたことから始まりました。

 結局それが契機で、私自信が尾道地評事務局長、非専従・専従と15年間の労働運動に至るのですが・・・・、その後私は雇用元の某通信会社に復帰し、民営化された会社でビジネスにまい進。

 自治体対応・組織作り等の労働運動に関することだけでなく、対人関係・働く者の在り方等多くのことを教えて頂き、その後のビジネスマンとしてどれほど役立ったことか。

 当時、高垣等さんが常に言っていたことは「池くんや、我々の目の黒いうちに首(首長)をとろうで、この小さな市くらい・・・」、昨日のことのように覚えています。

 その高垣さんが、2年半ほど前 市会議員を卒業するに当たり、「男たるものやはり市長選挙に出るぞ」と鼓舞し我々も沸き立ったものでしたが、遭えなく親族会議で却下されたことは世間には知られていません・・・・

 面倒見がよく・親分肌の高垣さん、志半ばで倒れた高垣さん、助産施設に尽力された高垣さん、我師 高垣さん、取り巻く我々の心の中に精神は受け継がれています。

 こころ安らかに眠ってください、ありがとうございました。