原題が『Brutal Bosses』である。アメリカでも、リストラの嵐が吹き荒れた80年代後半から、問題が表面化している。
昨日の記事「歪んだ自己愛管理職(destructively narcissistic manager)」 で紹介したサイト管理人の解説と同様、上司による部下いじめのパターンを大きくふたつに分けている。
・プレッシャーによるストレス反応として発生するケース
・上司のパーソナリティに起因するケース
さらに、後者のケースを3つのタイプに分けている。
昨日の「誇大妄想型」「徹底管理主義型」「被害妄想型」とは少し切り口が違う。私はどういう切り口が正しいかどうかを判断する立場にはないので、自分が抱えている案件を理解し解決するのに役立つ切り口を使う主義。
もうひとつ、役立つ記述。
今抱えている案件のひとつは昨日の「歪んだ自己愛管理職」解説と、この本でかなりすっきりした。もう一件は、軽微なケースだが、微妙。
ただ、この「責任回避」という点を理解しておくと、今後進めやすいと思う。おそらくは、まずは「社内いじめ」を認めないだろうし、事実関係を認めたとして「責任回避」行動が出てくるだろう、という点を踏まえて打ち手を考えよう。
昨日の記事「歪んだ自己愛管理職(destructively narcissistic manager)」 で紹介したサイト管理人の解説と同様、上司による部下いじめのパターンを大きくふたつに分けている。
・プレッシャーによるストレス反応として発生するケース
・上司のパーソナリティに起因するケース
さらに、後者のケースを3つのタイプに分けている。
まず「征服者」タイプの上司だが、このタイプは常に「力と縄張りの世界」で生きている。征服者型にとって最も重要なことは、自分の力が部下たちに比べてより大きいこと、強いことの認識を持つことである。このタイプの上司が「勝利感」を摑むことができるのは、相手が負けたり、何かの理由で蹴つまづいたときだけであり、したがって相手を負かし、恥をかかせようとする欲望は飽くことを知らない。
この征服者型上司を特徴づける部下の攻撃法は、とにかく部下をこん棒で打つかのごとく徹底的に攻撃し、いじめる。権力でねじ伏せて支配しようとするのだ。このタイプの上司は、部下の業績目標設定のときには物わかりのよさを示すが、いったん業績目標の合意がなされると、人が変わったかのように権力を行使して、業績目標の達成を妨げることが少なくない。
次に「完璧者」タイプの上司だが、彼にとっては自分が完璧であることが最大の価値だから、常に自分の有能さに関心が向いている。当の本人、あるいは部下にとって不幸なことは、この手の上司が求める能力の基準がとてつもなく高く、並の人間ではとてもじゃないが到達不可能であるということだ。
このタイプの上司は、四六時中、自分の能力が不安なのである。この裏返しで、何とかして自己評価を引き上げようともする。部下をけなすのは、自己評価を高めるための手段なのだ。「わが部(あるいは課)の業績が思わしくないのは、部下たちの能力の欠陥のためであり、もっと有能な部下が欲しい」と主張するタイプでもある。繰り返し部下を非難すれば、それだけ相対的に自己評価も高くなると考えるのだ。悪しき完璧主義者である。
三つ目は「策略家タイプ」の上司である。他人が自分をどのように評価しているかをいたく気にする上司を指す。彼にとっては、自分の上役から認められることが何よりもいちばん大事であり、絶えず上役の称賛と、自分に対する高い評価をもとめている。
昨日の「誇大妄想型」「徹底管理主義型」「被害妄想型」とは少し切り口が違う。私はどういう切り口が正しいかどうかを判断する立場にはないので、自分が抱えている案件を理解し解決するのに役立つ切り口を使う主義。
もうひとつ、役立つ記述。
《問題上司》に共通する「責任回避」という習癖
ところで、インタビューに応じてくれた人々の告白を分析すると、これら悪意に駆られた三つのタイプの「いじめ上司」には、「共通した習癖」のあることがわかった。「責任回避」という習癖である。それぞれに独自のやり方と目的を有しているが、責任を放棄するという点では、三タイプとも共通している。
「征服者型」上司の場合、彼らが最も欲しいものは「権力と支配力」である。そこで巧みに責任回避することによって、部(課)内の透明度を減らして、情報公開を避ける。そうすることで、部下の自分に対する「依存度」が増すように努める。制服しやすいように部下に正確な情報を与えない。
「完璧者型」上司は部下にとてつもなく高い能力や達成目標を求める。そうすることで、部下を混乱と不安に巻き込み、自分の責任を部下の能力のせいにし、責任を逃れようとする。
一方、「策略家型」上司が責任回避を選ぶのは、次の思惑による。問題の核心に対する自分の姿勢を曖昧にしておき、そのまま事態が進展して、右か左か、方向が明らかになったところで、勝者側に立とうという計算である。それには自分の発言の言質を取られるようなことがあってはならない。そこで責任回避の行動を選択する。
こうして見ると、「責任回避」をめぐる上司の深層心理は三タイプとも同じである。「いじめ上司」に一貫しているのは、実はコンプレックスなのである。そして、このコンプレックスの核心を占めているのが、自信の欠如による「強迫的不安」である。
「征服者型」の上司は絶えず「私には果たして本当に権力があるのか?」という不安に駆られ、「完璧者型」上司は「私は有能なのか?」と不安にさいなまされる。「策略家型」上司は「私は本当に評価されているのだろうか?」と自問する。この絶えざる不安から自分を守り、自信喪失を食い止めるために、なりふりかまわず問題行動に走る。
今抱えている案件のひとつは昨日の「歪んだ自己愛管理職」解説と、この本でかなりすっきりした。もう一件は、軽微なケースだが、微妙。
ただ、この「責任回避」という点を理解しておくと、今後進めやすいと思う。おそらくは、まずは「社内いじめ」を認めないだろうし、事実関係を認めたとして「責任回避」行動が出てくるだろう、という点を踏まえて打ち手を考えよう。