宋 文洲
教育嫌いが教育好きになる矛盾
ははは、そうなんですよね(苦笑)。企業の教育担当をやっている私自身は、そういう上から刷り込むようなスタイルの教育が大嫌いで、むしろ英語のeducationを志向しています。
いや、まったく同感です(苦笑)。親が子供を育てるわけじゃなし、大人と大人の間の企業教育は、受ける側がひとりの大人であることを前提にして行うべきだと思います。
最後まで同感できる内容でした。
教育嫌いが教育好きになる矛盾
企業の中には、この教育が大好きな人たちがいます。教育好きな人ほど、自分は教育を受けたがらないのですが、他人を教育したがります。上司の教育が大嫌いだった若者も、自分がおじさんになると、見事に教育好きに変身してしまいます。
「教育」という言葉は聞こえがいいのですが、どこか「文明が未開に教える」「人間らしい者が、人間らしくない者を教化する」という構図が見え隠れします。教育と言った瞬間に、それは「教育する側が神聖なるもの、教育される側が従順なるもの」の関係を作り上げようとします。
ははは、そうなんですよね(苦笑)。企業の教育担当をやっている私自身は、そういう上から刷り込むようなスタイルの教育が大嫌いで、むしろ英語のeducationを志向しています。
英語のeducationはeduceから変形したものです。educeの意味は「引き出す」で、「教え込んで育てる」という意味はありません。人間はほかの動物と同じく、誰かが教えなくても“勝手に”育つものです。周囲に悪い奴がいなければ、勝手に良く育ちます。
(中略)
人間が変わっていく過程において最も大事なのは、良い影響を受けられる環境に身を置くことです。企業教育という意味では、良き企業文化を確立していないところに、経営者が教育について発言し、教育にお金を投じても、資格を取らせても、良い社員は育たない。
(中略)
教育とはそんなものです。立派な人間が立派なことを言うことが教育ではありません。「私は立派、あなたはダメ。だから聞きなさい」という意識を持った瞬間、教育は偽善になってしまいます。
いや、まったく同感です(苦笑)。親が子供を育てるわけじゃなし、大人と大人の間の企業教育は、受ける側がひとりの大人であることを前提にして行うべきだと思います。
人は良くも悪くも、その時代と共に生きていく運命にあります。どうあがこうが、前の時代に逆戻りすることはできないのです。一個人として過去を懐かしみ、将来のために過去に起きたことを指摘するのは自由ですが、自分の考えを強制的な手段で他人に押し込む自由を人は持ち得ません。他人に対してできることといえば、今の時代に自分を成長させていく環境はどこにあるのかを、見極められるように仕向けることでしょう。
最後まで同感できる内容でした。