ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

英語でコーチング研修を提供

2006-08-03 21:06:22 | しごと
 先週、ふたつのグループに対して提供したコーチング研修を、英語で提供した……と言っても、相手はひとりだけだったが(苦笑)。

 自分で開発したコンテンツであるだけに内容は頭に入っているが、基本的に日本語。そして、先週半ばに日本語で初めて実施してからテキストを翻訳した。自分で翻訳した方が自分の伝えたいニュアンスが伝わるし、口頭で説明する時のリハーサルにもなるから、自分で翻訳した方がいい。

 チャレンジングなのは、翻訳には自分が必要な時間をかけられるが、研修のその時その場で限られた時間の中で効果的に口頭でレクチャーしたり、質問したりすることだ。まぁ、社内の人間が相手なんで、多少は言いよどんでもプレッシャーは感じずに済んだ。

 出来はパーフェクトとまでは言えなかったけど、まぁ日本語版の6割ぐらいの出来。伝わったし、内容を評価してもらえた。英語でファシリテーターをしたり研修講師をしたりする経験はまだ限られているので、自信を持てそうだ。

 来月には、4日間も英語で行われる研修の約2割を講師として運営しなければならない。しかも、その質にドイツ人講師からお墨付きをもらうのが目標だ。その意味では、今日はいい練習になった。

速読2冊

2006-08-03 20:03:54 | 読書
 仕事の合間にぱらぱらっと、流し読み。

ムカッ!ときたときのとっさの対処術 植西 聡 (扶桑社文庫) リンク先はamazon.co.jp

 感情、特に怒りの感情への対処は、特に部下を持つマネジャーにとっては、自分自身の怒りへの対処、得意先や部下の怒りへの対処、という二面において重要だと私は思う。

 対処術のうちいくつかは「呼吸法で神経を落ち着ける」「目をつぶって数を数える」というオーソドックスなものだ。

 でも笑ってしまった対処法もある。「脱力系のキーワードをつぶやく」だ……これ、次の機会があったら試してみよう(笑)。

☆★☆★

なぜか同じ失敗を繰り返してしまう人たち 芦原 睦 (扶桑社文庫) リンク先はamazon.co.jp

 わかりやすい交流分析の解説書。「親の心」「大人の心」「子供の心」の三つ(「親の心」と「子供の心」はさらにふたつに分かれる)のバランスと、バランスが崩れた状態。そして、交流分析の中で「ゲーム」と呼ばれる、本人は自覚していないが無意識に人間関係を壊す行動を繰り返す人のパターン。

 ちょっと胸を突かれたのが、この一文。

「人は、陽性のストロークが不足すると、陰性のストロークを集め始める」


 身近な家族のことを思い出した。まさに、このパターンを何十年も繰り返している……(水不足だがイグアスの滝汗)。


宋文洲「同じアジアの同胞に送るメッセージ」

2006-08-03 12:46:16 | 時事
 パレスチナ・イスラエルについては余り詳しくないのでまとまったことを書けないのだが、宋さんのエッセイはとても共感できた。

宋文洲の傍目八目
同じアジアの同胞に送るメッセージ

気を取り直して記事を読むと、それはイスラエルがレバノンを攻撃した際の犠牲者だと分かりました。

 この時、僕はなぜだか『アンネの日記』を思い出し、いつのまにか「アンネ、あなたの後輩たちは、こんなひどいことをやっている」と心の中で彼女に語りかけていました。


 特に、以下の引用の、一番下の段落に書かれている一節が、私には共感できた。

 不思議なことにアジア大陸の西の端にあるイスラエルは、東の端にある北朝鮮と類似点があります。

・第2次世界大戦の終焉によって誕生した国
・国の規模にふさわしくないほど武器を持っている
・周囲の諸国と仲が悪い
・核兵器を隠し持っている
・特定の大国の支持に頼る

 アジアの東端では北朝鮮のミサイル実験に関心を奪われていましたが、それよりもはるかに危険で残忍な行為が西端では起きてしまいました。第2次世界大戦で悲惨な目に遭ったユダヤの民は、今は近隣のレバノンを同じような悲惨な目に遭わせようとしています。

 イスラエルには、イスラエルなりの主張があるのは分かります。その一方で、なぜ他のどの民衆よりも争いの悲しみ、空しさ、苦痛を知っている民たちが、先鋭的な戦いに勤しむのか僕にはどうしても理解できないのです。


 一時ニューヨークに住んでいた時、イスラエルという国家は超大国アメリカの支持があるからこそ、他のパレスチナ諸国に対して随分と攻撃的なことをやっても国際社会の中で北朝鮮並みに孤立しないのだなという印象を持った。だから、次の一節も同感できた。

 中東における平和への道のりの遠さはこのような偽善と欲望による産物です。結局、過去も今も正義ではなく、国の政策と利益がすべてを動かし、戦争の原因をつくってきました。大国の政治家(民ではなく)が歴史や宗教のいざこざをうまく利用し、自分の政策を推進する構図は昔も今も変わっていません。


 そもそもイスラエルという国自体が、「そこは2千年前にご先祖様たちが国家を持っていた土地なのだから寄越せ」という論理でパレスチナ人たちを追い出した国家だというところからして特殊というか異常というか。それを黙認してしまった国際社会もまた、それぞれの利害や思惑にもとづいてその異常を認めてしまったわけで。

 ユダヤ人に対する迫害の歴史がそう仕向けるのか、しじゅう外に向かって戦争を仕掛けていないと落ち着いていられない国民性とは何なのか、考えてしまう。

 日中、日韓などには歴史問題はありますが、幸いにも宗教が絡んだ怨嗟の関係には陥っていません。僕はそう思います。60年前まではひどい出来事がありましたが、あれ以降はなんとか平和を保ってきました。

 アジアの西で起きていることに比べれば、僕たちが軸足を置いている東アジアの問題はまだ救いの残る関係ではないでしょうか。東アジアが今の西アジアのような状態にならないように、我々一人ひとりが大人としての行動をしていきたいと思います。


 今年の8月15日は、東アジアと西アジアのことを考えながら迎えたい……奇しくも今年は日本を出てアジアの別の地域で8月15日を迎える(そう言えば去年も北京入りした日だった^^;)ので、違う感興を持つのではないかと思う。