大前研一 「産業突然死」の時代の人生論
第40回 A級戦犯問題を「論理思考」で考察する
さすが大前さん、かなり大胆に書いているなぁ。
最後の一文はどうかなーと思いますが……私は当然ながらテロリズムを支持しないが、8月15日に靖国神社を公人として参拝する小泉首相に対して「国賊!」という罵声が飛ぶ風景を想像すると、そのシュールさに苦笑してしまう。
同感だ。私もこの密約や合意を確実に知っていたわけではないけど、参拝論者である中曽根元首相が小泉首相に釘を刺す発言を繰り返す背景を考えると、ここに行き当たらざるを得なかった。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑
「先の大戦で海外における戦没軍人及び一般邦人のご遺骨を納めた『無名戦没者の墓』として昭和34年3月28日に創立されました」
(財)千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会
「千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。
今から約60年前の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外地域の戦場において、多くの方々が戦没されました。戦後、ご遺骨が日本に持ち帰られましたが、ご遺族にお渡し出来なかったものを、この墓苑の納骨室に納めてあります。いわば「無名戦士の墓」とでもいうべきものです。現在、約35万柱のご遺骨がこの墓苑に納められております。」
私は基本的に分祀論・(天皇・首相の)靖国参拝反対論だが、千鳥ケ淵の「戦没者慰霊碑」を代替案として挙げ、「(1)公人は千鳥ケ淵にのみ参拝、(2)靖国は国民の統合の象徴(天皇)、および選ばれた代表(首相など)は参拝しない、(3)靖国神社は自分たちの好きなようにすればよい」という提案でもよいと思う。
まったく同感だ。また「国民的な集団知(IQ)」という概念を示しているところに、現状について大前氏の思いが見て取れる。
第40回 A級戦犯問題を「論理思考」で考察する
さすが大前さん、かなり大胆に書いているなぁ。
靖国問題がいやらしいのは、その見事な演技の背景にある論理矛盾をあぶり出すからである。日本人が忘れてしまった、あるいは忘れたいと思っていることを我々の目の前に突き付けるからである。
例えば東條英機首相の孫に当たる東條由布子氏は月刊誌などでA級戦犯の分祀に強烈に反対している。それはそうだろう。東條家にとってみれば戦争は国民と共同でやったものであり、統帥権を持っていた昭和天皇の命でやったものだ。自分たちのおじいちゃん達だけを犯罪人として、さっさと先に行く人など許せない、という心情になってもしかたがない。おそらく靖国神社に合祀された14人のA級戦犯の遺族の方々も同じような気持ちだろう。
そもそもこの問題が出てくるのは、ボスが責任を取らなかったからだ、という考え方は間違っていない。今回のメモの問題点は、それをボス自身が白状してしまったところにある。つまり、昭和天皇はマッカーサーには「自分はどうなってもかまわない」と責任を認めていながら、長い間新しい役割だけに専念している間にいつの間にか自分はA級戦犯の被害者であり、自分はあの戦争にはそもそも反対していたのだ、という心境になりきっていたのではないだろうか。
(中略)
日本では天皇問題、特に昭和天皇の問題になると理屈ぬきで崇拝する人々も多い。このメモが見つかったことで、靖国問題は一件落着、ご意思が分かった以上靖国参拝はやめてもらわなくちゃ、と発言する人も出て大騒ぎだ。
一方、このメモについて、今の当事者である小泉首相は自らの靖国神社参拝への影響について「ありません」と答えているが、さあ、そんな強気なことを言っていていいのか。今度の8月15日に参拝に行くというのなら、もう命がけで、それこそ「国賊!」と怒号を浴び、刺されることも覚悟して参拝してもらうしかない。昭和天皇に対して熱烈親派の人たちは結構危険なところがあるのだから。
最後の一文はどうかなーと思いますが……私は当然ながらテロリズムを支持しないが、8月15日に靖国神社を公人として参拝する小泉首相に対して「国賊!」という罵声が飛ぶ風景を想像すると、そのシュールさに苦笑してしまう。
1972年、時の首相・田中角栄氏が訪中し、日本と中国は国交を再開した。そのときに自民党と中国の間でいったいどういう約束が交わされたのだろう。そのことを日本国民のうちどれだけの人が知っているのか。実は「戦争の加害者はA級戦犯だ。中国の民衆も日本の国民も同じ犠牲者なのである」として、A級戦犯だけを犯人に仕立て上げ、残りの日本人には責任がないことにして日中平和条約が締結され、賠償権も放棄された、といわれている(実際問題として日本は国民政府と既にこの問題は解決済みであったために、あとから政権を確立した大陸政府とはこのような解決策しかなかったと思われる)。この日中相互理解がその後田中派の利権となった中国へのODAの根拠ともなっている。靖国合祀後に登場したコチコチの参拝論者であった中曽根首相でさえも、胡耀邦・趙紫陽ら改革派を支援するために首相としての参拝をやめている。
つまり中国の理解は、戦争責任はA級戦犯、日中両国民は犠牲者。したがってこれが、日中が将来仲良くしていくための大前提、というものだ。この政権トップの「相互理解(あるいは密約?)」は日本、および中国の一般国民にはよく理解されていない。そういう理解でODAを開始しておきながら、中国人が評価してくれないのも問題だし、日本人も「靖国に誰が行こうがこちらの勝手、内政干渉もはなはだしい」と言って譲らないのも問題。戦後の補償問題を特定政治家たちの利権に置き換えるような小ざかしいことをした張本人たちがここで登場しなくては永久にこの問題は解決しない。
(中略)
この際、歴代の自民党の代表の方々が、日中平和条約を結んだとき、ODA開始の前提など中国との約束で、明らかにされていないものをつまびらかにしてしまってはどうだろうか。上記の中国との経緯に関しては、ばらばらな文献、中国の研究者の話、一部政治家たちのコメントなどから組み立てたものだ。
それらの密約や合意を、日本国民は知らされていない。特に改革開放以前の中国との関係は共産党や自民党の一部の人々が仕切っており、学者やマスコミの網にもかからないことが多かった。だから、80年代半ばから急に中国が靖国神社参拝を批判し始めたのに対して、多くの日本国民が「中国にそんなことを言われたくはない」「中国に言われて参拝をやめるなんて屈辱だ」と反発してしまうのだ。だが、なぜ中国が参拝を批判するのかをよく考えてみてほしい。中国にとってA級戦犯がどういう意味を持っているのかを。
同感だ。私もこの密約や合意を確実に知っていたわけではないけど、参拝論者である中曽根元首相が小泉首相に釘を刺す発言を繰り返す背景を考えると、ここに行き当たらざるを得なかった。
このような経緯を見ると三つの大きな“隠されたアジェンダ”が本件を分かりにくくしていることが明白になる。
1.昭和天皇が東京裁判で免訴されたことを忘れ、いつの間にか自分も戦争の犠牲者だ、と考えA級戦犯から距離を置こうとしたこと
2.田中派と中国の為政者たちが戦後処理に関して自分たちに都合のよい解釈をし、A級戦犯に全責任を押し付けてODAなどの利権をほしいままにしたが、国民にはその前提を開示していない
3.田中派利権つぶしに奔走した小泉首相が道路、郵政、中国、などの利権の雷管を踏みまくっている間に靖国問題でやぶへびとなり、予想外のジレンマに陥った(行っても騒動、行かなくても騒動)
千鳥ヶ淵戦没者墓苑
「先の大戦で海外における戦没軍人及び一般邦人のご遺骨を納めた『無名戦没者の墓』として昭和34年3月28日に創立されました」
(財)千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会
「千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。
今から約60年前の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外地域の戦場において、多くの方々が戦没されました。戦後、ご遺骨が日本に持ち帰られましたが、ご遺族にお渡し出来なかったものを、この墓苑の納骨室に納めてあります。いわば「無名戦士の墓」とでもいうべきものです。現在、約35万柱のご遺骨がこの墓苑に納められております。」
私は基本的に分祀論・(天皇・首相の)靖国参拝反対論だが、千鳥ケ淵の「戦没者慰霊碑」を代替案として挙げ、「(1)公人は千鳥ケ淵にのみ参拝、(2)靖国は国民の統合の象徴(天皇)、および選ばれた代表(首相など)は参拝しない、(3)靖国神社は自分たちの好きなようにすればよい」という提案でもよいと思う。
新しい首相には是非こうした複雑系の絡みを理解し、かつ自分なりの新しい解釈を示してもらいたい。またマスコミや国民も自分の意見や考えを形成するに際しては、歴史のどの段階のどのような事象から自分の意見を形成しているのか、相手の立場に立ったらどのような景色が見えてくるのか、思考の訓練のつもりで時間を使って考えてもらいたい。
また中国や韓国に関しても、歴史をさかのぼり、彼らもまた理解し、未来に向けて善隣・友好がわだかまりなくできるように促すべきである。そうしたことなしには近隣諸国との健全な将来関係は構築されないだろうし、またいつか来た道を避けることもできない。このプロセスを冷静に経過することなしには国民的な集団知( IQ )も向上しないだろう。
まったく同感だ。また「国民的な集団知(IQ)」という概念を示しているところに、現状について大前氏の思いが見て取れる。