また読み応えのある記事があった。
軍を律する文民統制とは何か
民主国軍と非民主国軍の違い(1)
まさしく、自分にとってのツボ。
企業の研修・教育・人材開発に当たっている自分には、下記も興味深い。
パート2の末尾に現在の自衛隊が幹部に自分たちで考え判断させる教育を充実させようとしているという記述があって、筆者の関心事になっているのだが、自分には「教育」と「education」の語義の違いを連想させた。すなわち、「education」のラテン語源は「引き出す」という意味を持っていて、西洋的な教育のあり方はもともと持っている資質を引き出すことにあるということだ。自衛隊が「教育訓練」という時はむしろ教え込むことが中心だと思うのだが、それでも自立的に考えるカリキュラムを少なくとも現場のトップレベルにつく候補に提供しようとしていることは、とても重要なことだと思う。
「憲法改正は望んでいない」。元自衛隊幹部は答えた
軍を律する文民統制とは(2)
世界の紛争地で取材している筆者の豊富な実例がすごく説得力を持つ記事だと思う。
軍を律する文民統制とは何か
民主国軍と非民主国軍の違い(1)
「文民統制」とは担当する大臣、つまり防衛大臣の意思に全面的に従ってオペレーションも人事も行うという意味である。「文民(シビリアン)」とは、国民のことだ。軍事力の行使を、国民の代表である担当大臣に一任するのである。
なぜ統制せねばならないかというと、「軍」とは「力」そのものだからである。「力」そのものが、その組織を構成する人間だけの企図で行使されることは、はなはだ危険だ。だから、国民の代表が「意思」を担い、軍人が「力」を持つというように、「意思」と「力」とを分離して機能させることで、力の暴走を止め、要所要所でその存在を示す。そして「意思」は、1本の綱で伝達される。つまり防衛大臣の手にのみ握られる。これが「文民統制」の形態だ。
ほとんどのメディアで誤解があるのは、指示を出すのは「政治家」だとしていることだ。すべての政治家の意思に個別に従っていては、オペレーションは進まない。政治家の中でも、「意思」は担当する防衛大臣にある。そして、さらに上層の最高指揮官が総理大臣である。
文民統制の真意は、「政治優先」である。軍人が法律を作成することはないし、オペレーションが法律より優先されることもない。軍人が政治家になったために、太平洋戦争の愚が起きたわけだ。
(中略)
ところで、制服を着た自衛官が文民統制に従う理由は何か。それは、彼らは自分たちが「力」そのものだということを自覚し、平時には無用だが、有事には自分たちの力が必要だという自負心があるからである。これを裏づけるのが、人権思想と「人々のために」という人道の精神である。
不思議なのは、田母神前航空幕僚長が統合幕僚学校で創設した「歴史観・国家観」講座にこれまで異を唱える文官も大臣、長官もいなかったことだ。創設のための法律が必要なかったために関与をしなかったと彼らは言うかもしれないが、いかにもそれは「縦割り意識」であり、本来の文民統制がなぜ必要かという筋をはずしている。
筆者には、今回の事件に関して総理大臣と防衛大臣が他人顔をしていることが、どうにも腑に落ちない。政権への不信任につなげようと本件を利用する野党の姿勢も、もちろん筋をはずしている。国民の代表たちは、何をすれば彼ら自衛官を律することができるか、本当は分かっていないのではなかろうか。
まさしく、自分にとってのツボ。
企業の研修・教育・人材開発に当たっている自分には、下記も興味深い。
自衛隊の用語で筆者が面白いと感じたのは、彼らは訓練のことを「教育訓練(education and training )」と表すのである。筆者のような文民の世界では、ただ「研修(training)」と言うだけだ。なぜ「教育訓練」という言葉を使うのか聞いてみたのだが、長年の呼び習わしに従っているだけで、彼らもそれ以上のことはよく分からないようだ。
パート2の末尾に現在の自衛隊が幹部に自分たちで考え判断させる教育を充実させようとしているという記述があって、筆者の関心事になっているのだが、自分には「教育」と「education」の語義の違いを連想させた。すなわち、「education」のラテン語源は「引き出す」という意味を持っていて、西洋的な教育のあり方はもともと持っている資質を引き出すことにあるということだ。自衛隊が「教育訓練」という時はむしろ教え込むことが中心だと思うのだが、それでも自立的に考えるカリキュラムを少なくとも現場のトップレベルにつく候補に提供しようとしていることは、とても重要なことだと思う。
「憲法改正は望んでいない」。元自衛隊幹部は答えた
軍を律する文民統制とは(2)
前回、軍を律する文民統制が実際に機能するかどうかは、彼ら軍人への教育プログラムを見ればおおむね判断できる、と書いた。実戦に関連する「最新鋭装備」とその運用のための「実戦訓練」、そして、頭脳に関連する「理論教育」と「倫理教育」の4つの指標の程度と内容が、文民統制の成否を分けている、と。
各国の政府が設立し保有する軍が、民主国のものか非民主国のものかによって、「倫理教育」と「理論教育」に差異が生まれる。この2つは正規軍であることでは、外交上同じ地位を持っている。
ところが、昨今軍を持つのは政府ばかりとは限らない。これが今日の世界を脅かしている。非政府軍に、この4つの指標を当てはめてみよう。
グルジア紛争は、珍しく国家の正規軍が衝突したが、それですら実際の戦闘はどうやら非正規軍が開いたようである。ソマリア、スーダン、コンゴ民主共和国などで治安を脅かしているのも、こうした「OAG: other armed group」と呼ばれる、実態不明な非正規軍である。現在世界で平和を脅かしているのは、OAGである。ソマリアでは海のOAGもまた跋扈している。
非正規軍が信用できないのは、倫理教育と理論教育がないからだ。文民統制はおろか、もともと司法がしっかりしていれば必要性がなかった存在である。非正規軍が法の支配が成立しない国で生まれるのには、こうした理由があってのことである。
世界の紛争地で取材している筆者の豊富な実例がすごく説得力を持つ記事だと思う。