米沢蕃では、生産現場に必要なものは
一汁一菜の食べ物
木綿の着物
として藩主が見本を示した。
現代でも通用する。木綿の衣類で作業してみようか。
しかし、当時の山紫水明の環境はない。空気は何やら汚染され、井戸水でさえ飲めるかどうか検査するようになって、海も何やら細かいもので汚染されている。
空気の汚染にはーーートラクターのエンジンからは微粒子が空気中に排出され汚染の原因を作っている。わかってはいるが。
米沢蕃の藩主になった17才の若い上杉鷹山は一生をかけて領民の期待にこたえた。最初は無駄な支出のカット、次に殖産興業。それを支えたものが倹約の精神の表れとも言える、一汁一菜と木綿の着物だ。倹約して働くことが美徳となった。全員参加型の労働環境が殖産興業で整備された。
倹約労働は負からスタートだから仕方がない。だが、あらゆる事柄が正の場合でたいへん順調に進んでいる時も倹約労働は実行できる。その場合、ますます正になるだろうと考えられ、間違っても負にはならないだろうと考えられる。本当にそうなるだろうか。
当時の食べ物は無農薬、無化学肥料で作られたものだけだ。現代の木綿は農薬、化学肥料で育っている。当時の木綿の着物は人体に最適で、作業にも最適だったのだろう。同じものを手に入れることはできない。環境が違い育ちかたもちがうからだ。
全国的に米沢蕃のように木綿の着物を奨励するとどうなるか。全国的に同じような奨励の元に倹約労働すると絹を誰が着ることができるのか、の疑問がわく。
教えを守ったのは上杉鷹山だけで他の大名は教えを守らなかった。絹の需要は増えるばかり。