家を建てると永久にもつものだ、と勘違いするので、最終的な解体など考えない。新規に作るのは盛り上がっている時なので右肩上がりで何の心配もしていない。
何という事をやっていたのだろう、と感心するのは解体が終わってから数週間すぎてからだ。何でもかんでも自分でやろうとがんばれる家が作業場なので、それがなくなると外注にするか、となる。
それぞれ別々の役割を持たせた場を作っても、頑丈に作らないと台風が壊す。一棟ごとに見合った金額をかけなければならない、ということが良くわかった。
被害を最小にするには、表面積を小さくするにはどうすれば良いか、ということと同じで、分割しないでまとまったほうが良い。母屋は大きく広い平屋だ。昔は土間というものが中心にあって夜でもそこで作業をした。今は夜なべ仕事はしないで農作業場での機械の監視だが夜は人間が休んでいる。農作業場は別棟でそれぞれ頑丈に作られている。その分、2棟になり表面積が大きくなっている。維持の金額もかさむ。
昔は同じ家の中に作業場があるので夜も作業ができた。別棟では休むことだけ考えるようになる。
もし、寝室のドアを開けるとそこは作業場だった、となると、凝り性の人間は寝ないで頑張るかもしれない。機械が大型化しておさまりきれないのでできないが。
大きな家の中に何でもあるのは台風避け、地震避けを考えると合理的だ。表面積が小さくなる。一階平屋が最も危険度が小さい。
ものぐさ人間は正反対のことをやってきた。永遠に続くと考えてやってきた。自分の体と同じように終わりのない状態を。
母屋の耐用年数はとっくに過ぎているが今もって永遠に続く状態だ。農作業場のような細い部材で作られた建物も解体した状態を全く考えていない。太い部材の母屋のように永遠に続くと思っている。どれも、ものぐさ人間が生まれる前から建っているので、解体も勝手にひとりでにやって新規の建物で登場するのだろう、と他人事で考えているから気がついたときは遅い。壊さないと危険だ。やる気もなくなっている。
なぜ、ご先祖の資産を有効利用しなかったのか、補修しても維持だけで何をしようとしたのか、良くわからない。
中にはろくなものがない、という物置は何のために維持したのか、今振り返ってみるとむだだったとしか。それを解体、やる気が出ない。
保険が出ない、というのが一番大きな理由ということはわかるが。
その場限りの対応、では何十年スパンのものには適応できない。ご先祖が何をするために作ったのか、などわからない。
今、使っていないもので、耐用年数が限界にきているなら危険防止のためにやることは一つだ。維持だけするなら簡単だがどうなるかわからない、というのはわかっている。ただ、今までの補修は何のためかわからない。わからないものにお金を使った。それを解体する。
すると、あの台風で被害が最小だったのだからそまま維持して保存する、ということも考えられるが文化財でもなんでもないので保存価値がない。
柱、梁は母屋とくらべずいぶん細いが固くて扱いにくいという樫の木だ。これは保管しておくか。他の部材は杉だ。危険発生建築物ではないような気もするがーーーーー
何という事をやっていたのだろう、と感心するのは解体が終わってから数週間すぎてからだ。何でもかんでも自分でやろうとがんばれる家が作業場なので、それがなくなると外注にするか、となる。
それぞれ別々の役割を持たせた場を作っても、頑丈に作らないと台風が壊す。一棟ごとに見合った金額をかけなければならない、ということが良くわかった。
被害を最小にするには、表面積を小さくするにはどうすれば良いか、ということと同じで、分割しないでまとまったほうが良い。母屋は大きく広い平屋だ。昔は土間というものが中心にあって夜でもそこで作業をした。今は夜なべ仕事はしないで農作業場での機械の監視だが夜は人間が休んでいる。農作業場は別棟でそれぞれ頑丈に作られている。その分、2棟になり表面積が大きくなっている。維持の金額もかさむ。
昔は同じ家の中に作業場があるので夜も作業ができた。別棟では休むことだけ考えるようになる。
もし、寝室のドアを開けるとそこは作業場だった、となると、凝り性の人間は寝ないで頑張るかもしれない。機械が大型化しておさまりきれないのでできないが。
大きな家の中に何でもあるのは台風避け、地震避けを考えると合理的だ。表面積が小さくなる。一階平屋が最も危険度が小さい。
ものぐさ人間は正反対のことをやってきた。永遠に続くと考えてやってきた。自分の体と同じように終わりのない状態を。
母屋の耐用年数はとっくに過ぎているが今もって永遠に続く状態だ。農作業場のような細い部材で作られた建物も解体した状態を全く考えていない。太い部材の母屋のように永遠に続くと思っている。どれも、ものぐさ人間が生まれる前から建っているので、解体も勝手にひとりでにやって新規の建物で登場するのだろう、と他人事で考えているから気がついたときは遅い。壊さないと危険だ。やる気もなくなっている。
なぜ、ご先祖の資産を有効利用しなかったのか、補修しても維持だけで何をしようとしたのか、良くわからない。
中にはろくなものがない、という物置は何のために維持したのか、今振り返ってみるとむだだったとしか。それを解体、やる気が出ない。
保険が出ない、というのが一番大きな理由ということはわかるが。
その場限りの対応、では何十年スパンのものには適応できない。ご先祖が何をするために作ったのか、などわからない。
今、使っていないもので、耐用年数が限界にきているなら危険防止のためにやることは一つだ。維持だけするなら簡単だがどうなるかわからない、というのはわかっている。ただ、今までの補修は何のためかわからない。わからないものにお金を使った。それを解体する。
すると、あの台風で被害が最小だったのだからそまま維持して保存する、ということも考えられるが文化財でもなんでもないので保存価値がない。
柱、梁は母屋とくらべずいぶん細いが固くて扱いにくいという樫の木だ。これは保管しておくか。他の部材は杉だ。危険発生建築物ではないような気もするがーーーーー
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