玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

電話が使える

2019-09-20 03:05:31 | 台風
 台風15号で停電、電話不通にーーーーー

 スマホや携帯は影響なかった。電気はすぐに来たが、光回線は昨日回復した。パソコンをスマホのテザリングでネットにつなげることもできたが、動作が遅いだろうと思いやめてタブレットで見ていた。

 建物に損害が出たが農作業に影響はない。稲も倒れるようなこともなく順調に育っている。だいぶ吹き飛ばされてはいるが。全量収穫なんて最初から考えていない。今年は麦まきの関係で稲刈りを10月中には終わらせる予定。
 
 周りの田では稲がなぎたおされている。このようなことは今まで見たことがない。ハウスもところどころ吹き飛んで鉄管が曲がっている。
 周りのハウスの修理を見て父は言った。ーーー来年は長い年月を耐える立派なハウスを立ててまともな稲作をやれ。ハウスを作るのを手伝うから頑丈なのを作れーーー
 ハウスを立てても収量が増えるとは限らないのに。ものぐさ人間はこれでハウスを作る気がなくなった。路線は完全にわかれた。今回の台風でも稲は倒れなかったので将来の方向は正確だ。麦作が新たに加わるが、これが増収の手段だ。

 建物の損害は保険で補償されるだろう。農産物はどうなっているのだろう。天候相手では同じような方法で作業するほど危険なことはないと思うが、父は周りに合わせろ、と今まで以上に何度も言っている。倒れた稲が見えないのだろう。聞くほうは聞く耳持たず。倒れた場合、収穫はものすごい苦労だ。機械もいたむ。耐用年数が短くなる。特に足回りが。 

 ものぐさ人間が父の農作業を手伝っていた頃必ず稲が収穫まぎわになって倒れた。母といっしょにポールを持って一株一株起こして行った。これを暑い日にやるので、情けない、くだらない、バカバカしい、何やるとこんなに寝るんだ、まともに育てろよ、まともにできないのか、これはダメだ、まともにできないなら止めろーーーーーとますます思うようになった。

 今は一人で稲刈りをしている。
 何か言われると思い出すのは、その時の光景らしい。

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これから本番

2019-09-09 04:00:01 | 台風
 ものすごい東風、強雨。










 数時間後、中心に入るかもしれない。


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雨雲がかかってきた

2019-09-09 01:41:03 | 台風
 台風の雨雲がかかってきた。東風が強くなってきた。









 4時ごろから豪雨になるらしい。

 昨日は午前中は時々小雨午後は晴れ間も見えて暑かった。稲刈りをしているところもあった。何とか間に合って良かったと思う。まだ残っている田は20%ぐらい。
 玄米ごはん族の田はやっと黄色になった。麦あとの田は一番成育が良いが、暴風雨で倒されたりして。茎の株元は太いのでそういうことはないと思うが、台風が通り過ぎてからどうなっているか。

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美的感覚が正反対

2019-09-06 02:03:11 | 知識
 世界最先端を行く農具を使って畑を深く耕す。江戸時代にやったことを想像してマンノウやクワでやってみるとたった数センチ掘るぐらいで、それ以上深くするのは体力が続かない。
 江戸時代は人力文化で、わずかな力で最大の効果を達成していたので深堀はしないはずだ。現代の感覚では表面を削っただけだろう。

 浅く耕して、大きな土の塊や麦カラが残っているような畑に
 水が入った状態

水が入ったので田となった。

 トラクターはマフラーから黒い煙りを出させると数十センチくらい耕すことができる。時間もかかるし燃料も多くなるのでやらないが、江戸時代の人力による農法でやると

 低燃費、短時間作業、機械消耗最低

となって良いことだけなのだが、ベテランはそんな草だらけの田で田植ができるのか、それは荒代かきと言って代かき前の状態で終了していることになる、数日後ほんとうの代かきをやることになっているーーーーーーー

 長い間トラクターを操作している人間はウンザリしてへそ曲げていつものように水面には草一本もない代かきをしてしまうだろう。草があると邪魔で田植ができない、と言っているので来年もきれいな水面を短時間で作る。腕の見せ所だがーーーーーーーそれがマズイ。

 トラクターに座ったこともない人が運転すれば問題は解決。麦カラがどれほど出ていようと知らないのでそこで終了。そのうちトラクター運転はアルバイトのほうがベテランより作業時間が短くてきれいにできる、となる。美的感覚が正反対になる。

 有機栽培と慣行栽培違い以上の感覚の相違だ。

 ベテランは少し休憩。

 田植機では腕の見せ所、素人ではできない。

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人力でも頭を使った

2019-09-04 02:28:23 | 知識
 畑仕事はコマゴマとしてとても気楽にできない。父を見ていればわかる。ボケないためとか、かえって体を痛めている。お医者さんでもらった足腰の関節の痛みを和らげる湿布薬をはって畑作業だ。
 一粒万倍ではないが数倍ぐらいにはなって嬉しいのだろう。極極極小面積を丹念に、一円にもならないのに。どうせなら無農薬無肥料でやれば良いのに。収穫全滅でも趣味だから良いのでは。その時は技術の無さ、とあきらめられないのだろうか。

 江戸時代の人力文化には冬の温泉が予定に入っている。月単位で温泉宿でゆっくりしたらしい。その間は家族が農作業をしていたのだろう。体も心も回復して、種などを買って帰ってまいた。お土産は喜ばれた。

 江戸時代の農家は作ったものは売れなければ先がない。趣味でやって農作業そのものを楽しむような余裕はない。それでは家族全員全力投入かと思うと温泉でゆっくりしている。
 農作業は人力とは言え現代人が想像するよりはるかに軽い仕事で、ぐうんと合理的だったのかもしれない。

 父の畑仕事は農薬で虫や病気を抑え、化学肥料で成長促進多収なのであきらめるのが嫌いな父にピッタリだが関節の痛みは消えない。どこかへ行くから畑を頼む、と言われてもどうやったら良いのかわからないので行くときは雑草地になるのを予定されないとこまる。

 ものぐさ人間のほうはこのごろ数秒だが正座できるようになった。寝る前、仰向けになって力を抜いて踵を尻につける、足を真っすぐに伸ばして踵を押し出すように力を入れる、の繰り返しで正座を数秒間できるようになった。寝ていて解決に向かっている。正座はすぐに痛くなるので数秒でやめる、また数分たって正座数秒を繰り返し二三回やっている。
 このような気楽なことがなぜできないのだろう。父の頼るものは薬、自分の頭ではない。

 現代化学の便利な生産品がない江戸時代のほうがずいぶん健康的に思える。
 江戸時代の農作業は想像以上に気楽にやったのかもしれない。ものぐさ人間の経験では、気楽にやるには満足度も高くないとできないことになるが、満足させる技術があれば気楽にやれる。

 人力文化の中での
  高度な農業技術

ご先祖はどのようにそれを磨いたのか。


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