要するに
下村文科相は自分の「守護霊」本を出された事がとても嫌だった、気に入らない「あんなもの科学的でも学問でもなーーーい!!ぷんぷん!!」だから大学も不認可!
しかし、文部科学大臣としてそうした姿勢は如何なものでしょう?
宗教大学とはその宗教の教義を学ぶ部分も当然あり、そこを国が認可しないとなると、キリスト教大学、仏教大学な成り立ちません。
「いや、キリスト教や仏教はなんとなく知っている、なんとなく解るから可だ。そうした大学は建ててもいいよ」
「でも、幸福の科学のはなんなの?あれ?」
実はこうした態度は「先進国」として非常に危ういものがあるのです。
それは、
文科相といえども一人間であり、その一人間の好き嫌いで、あるいは理解できる出来ないで大学設置の認可不認可を出せるような国家体制はとても問題があります。ある意味これは中国共産党とまったく同じことに日本が陥っている事を意味するのです。
文科相が日本の未来への学問にどれ程の造詣がおありだというのでしょうか??
未来の学問とはこれまでの学問とは違ってきます。
ある時には、これまで、常識だと思われていたものを破り、新たな真実を見出すものが科学であり学問の姿です。
これまでの偉い人が言った事しか未来永劫学べないとしたら、その国はもう衰退するしかありません、あるいはいつまでも欧米からの新しい学問や発見を洗いなおす作業しかできない発展途上国への道しかないのです。
今、日本は岐路にさしかかっているのは、国民もなんとなくわかってきているのではないかと思いますが、岐路とは国がどのような方向へ向かうかという分岐点です。
戦後、60年はゆるくアメリカの属国として平和で、軽く鎖国気味に自分達だけで楽しくやれてこられたのです。あるいはアメリカに追いつけと少年のようにがむしゃらにやってるだけでよかったのです。
しかし、共産国である中共が力をつけ、大国アメリカも自国の事で精一杯という周りの環境の変化と共に、日本はこれまでのような生ぬるい自虐“こたつ”中でぬくぬくとしていられなくなってまいりました。
そうした中で幸福の科学が興ってきたわけでありますが、この団体は随分前からこうしたコタツ状態の日本に警鐘をならしてきていました。政党を立ち上げましたが、そのずっと前から政治はこうあるべき、政府はこうするべき、日本はこうあるべきという提言はなされていたのです。
それは、神仏を信仰する過程において「政治」とは神仏の理想をこの世に実現するものであるという定義があるためです。これはこの幸福の科学の勝手な理想をこの世に実現する為というのではありません。それは幸福実現党の政策を見ればわかります。
神仏の理想とは単純です。多くの人々が幸せになるにはどうしたらいいのか、そのための教えであり、そのための「政治」があるべきです。そうして信者一同が満を持して政党も立ち上げられました。
信者とは日本国民の一部です。失礼ですが、もぐりの在日とはわけが違います。
また、そうした幸福の科学が広まるにつれその教義を体系化し学問化して学びたいという人々は当然出てまいります。
そうした信者達の期待感が高まり、今回の大学建立への運びとなったわけです。
その、教義や教義の元となる霊言を勝手に「嘘」と定義し、それを教える大学は建てちゃダメ。というのはそちらの方が間違っていますよ。
と、こういうことになるわけです。暴君大臣ですか?国が共産化したのですか?とこうなるわけです。
これは、日本人がある一定の価値観だけを押し付けられているのだと知ってください。
これは例えば、つまり、ニーチェしか哲学は許さないと、こういっているのと同じなのです。
いや、どの哲学を好きなのかは自由だけど、学ぶのはニーチェだけ、公の場にはニーチェ系の言論しか出してはだめと言っているのと同じ事なのです。
その中で、いかに政治において保守系の政党が一生懸命に主張しても、通らないように画策されるわけです。
あるいはマスコミも保守系の言論は通りません、ツィッターで一生懸命に保守の方々が、マスゴミがこんな偏向報道した!反原発しか映さない!次世代の党もっと発言させろ!と言ってもなんとなくスルーぎみになるのは、こうした一定の価値観しか認めないというお上の風潮からきているものです。
日本に幸福の科学大学が晴れて認可されるような状態になれば、かなり違ってくることは想像に難くありません。あるいはその時点で保守の方々もなんだか知らないけど、最近軽くなった気がするという雰囲気を味わえることでしょう。
今、政府が国民の自由を、知らない間に縛り付けようとしています。自由民主党の自由とはいったい誰の自由の事を言っているのか?と問いたい。
在日政党と手を組んで、票をくれる人には自由を与えようだと?・・その実、増税で縛り上げる。そうした威張り腐った政党をいつまで支えるのか?その国民にどこまでも威張り腐った政党は敗戦根性だけは抜けず自分達の正当な主張を世界に発信することも出来ない。外国にいる国民を守ることすら出来ない。
・・・まるで、どこまでも貢ぐ女たちを見ているようで、泣けてくる。
「自民党といると本当は幸福になれない・・でもこの政党しか私にはないの・・自民党に入れるしか生きていけないのよ!!だって他に誰が私を幸せにしてくれるの!?」
あなた達のことを本当はどうでもいいんだよ、税金払う頭数としか見ていないのだよ。
このような政府のこんな大臣に、学問の何がわかるのでしょうか?
そういったこともあり、私学では本来は政府の「許認可」ということではなく、申請に対する「受理」しか道はないことになっています。
ただ、私学に助成金をだすようになったので、この助成金とは公立大学との授業料の格差を埋める為のものですが、金を出す以上金がないから「認可」できない。こんなにお金ないのだから増税やむなしと言いたいわけです。
つまり、国民向けに霊言なんてけしからんもの出す幸福の科学は認めん!(これならマスコミ受けする)
そうそうこんな大学に出す金なんてねぇ!それより増税しなくちゃ
この二つを国民にアピールしたいという政府と大臣の利害がからんでおりますが、これが国民にとって本当にいい選択なのでしょうか?
利害の絡んだ政治選択など良い結果を生んだためしはございません。
この影には、創価大学の新学部の許諾があったことを付記しておきます。
もちろん、日中会談前の中共「習」に対するコネでございます。
創価大学や孔子学院が幅を利かせるような国が今後どんな末路をたどるのでしょうか?
方や幸福の科学は終始日本のあるべき姿というものを説いてきました。宗教であるから聞く耳を持たない。霊言をするから聞く耳を持ちたくないというのなら、創価大学、孔子学院が台頭してきても、私たちに成す術はございません。
幸福の科学や実現党が言っていることはいいことみたいだから、適当にパクっとけばなんとかなるんじゃない?
こうした不誠実なことで、本当に日本を立て直せるのでしょうか?
本気で立て直せると思っているのでしょうか?