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Mikuのブログ

リー・クアンユー氏、死去 未来のシンガポールのリーダーの条件は

2015-03-24 15:54:56 | 国際ニュース・国際問題

画像:http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/18/lee-kuan-yew_n_6891474.html


リー・クアンユー氏、死去 未来のシンガポールのリーダーの条件は
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9397

シンガポール「建国の父」とも呼ばれるリー・クアンユー元シンガポール首相が91歳で死去した。長男で現首相のリー・シェンロン氏はテレビで国民に向けて演 説し、「リー・クアンユーはシンガポールそのものだった。彼が去った後も国民が一丸となり、彼が築いた礎や理想を引き継がなければならない」と呼びかけて いる。

マレー半島の先端に位置し、面積は東京23区と同じくらいの小さな島国であるシンガポールは、19世紀にイギリスの植民地となっ た。1942年に日本の統治下に入った後、イギリス自治領を経て63年にマレーシア連邦として独立。しかし、シンガポールの中国系住民の多さが連邦の結成を乱すとして分離独立を迫られ、65年に独立した。

リー氏は徹底的な独裁体制を敷き、約30年間首相の座についた。その間、インフラ整備で工業化を進めるとともに、税制優遇で外資を呼び込み、金融センター化を実現。急速な経済成長を成功させた。また、東南アジア諸国連合(ASEAN)創設 にも寄与。東南アジアの発展の礎を築いた一人と言える。

シンガポールは今年建国50周年を迎える。ただ、問題も多発しており、国の将来には不透明感が漂う。

一つは、少子高齢化が進んでいることだ。女性の高学歴化、結婚の減少が進み、2020年には労働人口が減少に転じると見られる。そのためリー氏が晩年提唱し ていたような移民の受け入れを進める必要があるのは明らかだ。しかし、カリスマであるリー氏亡き後、多民族国家であるシンガポールをどうやってまとめるかは大きな課題である。

また、同国では自殺の増加も大きな問題だ。同国の自殺予防団体によれば、2012年の自殺者数は前年比で30%増加 し、20代は80%の増加だった。多民族国家であるシンガポールでは国教は定められておらず、無神論者も比較的多い。宗教対立を防ぐための施策とは言え、 競争社会を生きる人々にとっての精神的な支えも欠けている。

大川隆法・幸福の科学総裁が2011年、シンガポールで講演する際にシンガ ポール霊界を調査したところ、神が存在していないことが分かった。それを踏まえて大川総裁は、「シンガポールがさらなる繁栄に向かうには、経済発展とも両立する霊的な思想が必要」と説いている。今後のシンガポールには、国の繁栄を肯定しつつ、神仏への信仰を重んじる、各分野において優れた人材を輩出するこ とを目指す必要があるだろう。(晴)


【関連書籍】
幸福の科学出版 『大川隆法 シンガポール・マレーシア 巡錫の軌跡』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=854
幸福の科学出版 『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=118

【関連記事】
2014年1月5日付本欄 安倍首相の靖国参拝、アジア諸国の反応は冷静そのもの
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7187
2011年2月19日付本欄 シンガポールに励まされる日本
http://the-liberty.com/article.php?item_id=1349

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UFO調査による被ばくで初の"労災認定"

2015-03-24 15:47:57 | 宇宙産業・宇宙・UFO・未来産業

UFO調査による被ばくで初の"労災認定"
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9396

「イギリスのロズウェル事件」と言われる「レンドルシャムの森事件」でUFOを調査した元米空軍下士官のジョン・バローズ氏は、UFOの調査時に大量の放射線 をあびて長らく病気を患っていた。このほど、アメリカの退役軍人保健局がその医療費の支払いをついに認めたと、イギリスのミラー紙が伝えている。

レンドルシャムの森事件とは、20世紀の有名な未解決UFO事件の1つ。1980年12月、イギリスのサフォーク州にあるウッドブリッジ米空軍基地近くにあるレンドルシャムの森にUFOらしきものが着陸したといわれるものである。

当時、警備兵だったバローズ氏は、同僚と間近でUFOを調査したのだが、その間、大量の放射線をあび、放射線被ばくと似た症状の病気になった。ただ、医師が 本当に驚いたのは、2011年、バローズ氏が50歳の時、本来なら高齢者に多い心臓の僧房弁が機能不全に陥る心疾患となったことだったのである。

しかし、バローズ氏も医師も彼の医療記録を取り寄せることはできなかった。機密扱いとなっていたからだ。バローズ氏は、当時空軍に所属していたことすら否定され、アメリカの大統領候補だったジョン・マケイン上院議員に助けを求めたが、医療記録は取得できなかった。

最終的には、バローズ氏の弁護団が英国国防省からこのUFO事件関連の文書を2つ発見。そこにはUFO着陸の跡に、ハイレベルの放射線が検知されたと書かれていた。

これにより、ついにアメリカの退役軍人省と国防総省は彼の医療費の支払いに同意した。バローズ氏の弁護団の一人は、「この決定はUFOが真実であることを認 めるものだ」と述べている。また、かつて英国国防省でUFOを調査していたニック・ポープ氏も、「この進展は極めて重要」と評価した。

ちなみに、レンドルシャムの森事件は、日本とも若干の関係がある。

バローズ氏と一緒に調査をした警備兵ジム・ペニストン氏は、UFOにヒエログリフ様の模様があることを目撃している。それがニック・ポープ氏の公式サイトで 紹介されているが、日本で江戸時代、茨城県沖に現れたUFO"うつろ船"の記録に描かれている模様と酷似しているのだ。偶然なのか、それとも関連があるの か、非常に興味深い。(純)


【関連サイト】
江戸の街に突如現れた宇宙人の謎に迫る 【WANTED!宇宙人!!ウォンチュ】
https://www.youtube.com/watch?v=_b6P4dYOPCE
【関連記事】
2011年8月号記事 <13のファイル>UFO・宇宙人は存在していた! 宇宙開国論Part2-2
http://the-liberty.com/article.php?item_id=2278


江戸時代の方は、UFOらしき“舟”から女性が現れたらしく、人々がどうしたらいいかわからず、“舟”へ帰した・・と確か・・記事にあったような・・当時の人たちは高濃度の放射線は大丈夫だったかな?

 

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サクラ、サクラ、咲く――ぺリリュー島

2015-03-24 15:35:58 | 歴史・歴史問題・戦争

画像:http://www.geocities.jp/itaka84/rekisi/parao-periryu/parao-periryu.html


サクラ、サクラ、咲く――ぺリリュー島

[HRPニュースファイル1315]

http://hrp-newsfile.jp/2015/2106/

文/HS政経塾3期卒塾生 幸福実現党・新潟県本部副代表  横井もとゆき

◆沈没船に結びつけられた中国国旗

21日にショッキングなニュースが配信されました。

天皇、皇后両陛下が来月、慰霊のため訪れるパラオで、海中に沈む旧日本海軍の給油艦「石廊」の船尾付近に中国国旗が結び付けられているのを、21日に取材で潜った共同通信記者が見つけたというものです。(2015/03/21 共同通信)

パラオには戦跡を保存する法律があり、その場から戦跡を持ち去ったり、手を加えたりすることは禁止されているはずです。

中国国旗は幅約1メートル。船尾の砲座を囲む柵の支柱だったとみられる場所に、針金と白い結束バンドで取り付けられていたことから、計画的かつ悪質な行為とみて取れます。

◆旧日本軍艦から海中の中国国旗消える

パラオ政府の対応は迅速なものでした。23日の共同通信社の報道によれば、現場から旗がなくなっているのを共同通信記者が確認したとのことでした。

パラオ政府によると、報道に接したレメンゲサウ大統領は「非常に失望していた」といい、法相を兼務するベルズ副大統領が23日午前、司法省に撤去を命じたとのことです。

パラオ当局が撤去したのか、それ以前に旗がなくなっていたのかは不明。誰が旗を結び付けたのかも分かっていないとのことですが、ひとまず胸をなでおろすことができました。

来月の天皇、皇后両陛下が慰霊に訪れらえる際には、パラオが大切にしてきた歴史の、ありのままの姿を慰めていただけるよう、再発防止に尽くしていただきたいと思います。

◆現地人と協和しつくりあげた大東亜共栄圏

パラオの植民地の歴史は、1885年にスペイン、続いて1899年にはドイツの植民地となり、第一次世界大戦で1914年日本軍がドイツ軍を降伏させ、1920年戦後処理をするパリ講和会議で国際連盟から日本の委任統治が認められました。

ペリリュー島は、日本にとって、フィリピン防衛の要のとされ、東洋最大といわれる飛行場を建設しているところでもありました。

日本軍は統治した国の人々を決して奴隷のように扱ったりはしませんでした。学校、病院の建設や、インフラ整備、マグロ缶詰工場や農場をつくり、現地の人に技術を教え、雇用を創出しました。

同時に日本語による教育も開始されましたが、現地の児童や教師の負担を考え、実習科目を減らす配慮もするほど、現地の人々を家族のように大切にしました。

◆誤解され伝わる「八紘一宇」の思想

当時の日本は、天皇陛下という徳ある為政者の下に、さらに天照大御神の下に、四海同胞は平和でなければならないという、平和繁栄思想に基づいて東アジアの周辺国を統治してゆく環太平洋思想がありました。

その思想の中には、当時の植民地支配を是としていた欧米的な略奪や、相当な負担を現地に負わせることを永遠に肯定するような思想は入っていませんでした。

島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているので、大人も子供も、日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。

しかし日本軍としては、住民を巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間に、住民全員をパラオ本島に避難させました。

本島までは約50km。日本軍人らは「貴様らとは一緒には戦えない」と言い捨てて島民を送り出してはいますが、相当の神経を使い住民を安全に本島まで運んだことがうかがえます。きつい言葉での別れの真意は、島民にしっかり伝わっていました。

「八紘一宇」は侵略の大義名分として伝えられていますが、この言葉の下に当時の日本人が外国で何を行ったのかを知り、現代に生きる日本人として、この言葉の真意をもう一度考え直す必要があります。

◆愛するがゆえ戦い、散る

ミニッツ提督は、ぺリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40パーセント)を甘受しなければならなかった。(「ミニッツの太平洋海戦史」チェスター・W・ミニッツ著)と伝えています。

当時の日本軍人の勇気の源は、「南方を攻め取られたら、日本は空襲に遭い、家族たちは火の海の中で焼かれ、死んでいく。何とかして、われわれが食い止めねばならん」という決死の覚悟と家族への愛でした。

日本軍は米軍の前に玉砕しましたが、帰島した島民は、日本人の遺体を見て泣き、遺体を葬り、墓を維持しました。

1982年には、地元の協力を得て、ペリリュー神社が建立されています。そこにある石碑にはミニッツ提督の詩が刻まれています。

「諸国から訪ねる旅人たちよ、この島を守るために日本人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」

そして1881年パラオ共和国が誕生したとき、日本軍人ペリリュー島守備隊を讃える歌が島民によってつくられました。8番まであるこの歌の6番と8番をお伝えします。

六 平和と自由の尊さを
  身を鴻(こな)にしてこの島に
  教えて散りし桜花
  今では平和が甦る

八 戦友遺族の皆さまに
  永遠(いついつ)までもかわりなく
  必ず我等は待ち望む
  桜とともに皆様を

【参考】
パラオ諸島ペリリュー島 守備隊長 中川州男大佐の霊言―― 隠された“日米最強決戦”の真実 
大川隆法 著/幸福の科学出版
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1435

「パラオ共和国に今でも残る『大和魂』2014.10.12」
http://hrp-newsfile.jp/2014/1761/

 

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