行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

国籍法についての考察⑥

2016-08-17 09:28:02 | 行政書士のお仕事
 昭和25年7月1日に施行された新国籍法では、

 母が日本人で、父が外国人である子が、

 嫡出子であったとしても日本国籍は、

 昭和58年1月1日までの約22年以上に渡り、

 認められていなかったのです!

 男女平等、女性参政権を謳った、

 現行憲法では、これらの文言を入れることを

 強く迫ったのは、むしろ当時のGHQだった筈です。

 それが、男女不平等な新国籍法という

 時代に逆行した法改正を

 GHQは、なぜ容認したのでしょうか?

 これは、飽くまでも推測ですが、

 むしろGHQ側からの要請があったのでは?

 と考えた方が理解し易いような気がします。

 それは、新国籍法が施行された日付に

 重要なヒントが隠されています。

 昭和25年6月25日に起きた重大事件である、

 朝鮮戦争の勃発に深い関係があると

 推測できるからです。

 当時、占領政策が一段落して、

 復興が進んだ日本に駐留する米兵の中には、

 日本人女性と恋愛関係を持つ兵士が

 多数居たことは知られています。

 もし、これら米兵達と日本人女性との間に、

 子供が生まれ、そして家庭を持とうと

 兵士達が考えたならば、当然ですが、、

 これらの兵士達の士気は低下します。

 それを防止する為に、米国国防総省側から

 米兵達が日本女性と恋仲にならぬよう、

 新国籍法を使って、米兵達の私生活を

 直接的、或いは、間接的に牽制したのではないか?

 と大胆に推測すると、この時代を逆行した

 新国籍法の改正内容に納得が出来ます。

 日本人女性側も、米兵と子供が生まれた場合、

 日本人として、戸籍に乗らないことから、

 当然、米兵に対して腰が引けて来る筈です。

 今と違って、戦勝国から憎っくき敵国であった

 日本から米国へ嫁ぐには、大変な勇気と覚悟が

 必要だった筈です。

 また、当時米国は南米とは異なり有色人種への

 差別は当たり前であり、そんな環境の中、

 米兵にも、そんな社会で妻子を守ってゆける

 自信もなかったに違いありません。

 そうなると、米兵には日本に残って貰いたいと

 思うのが、普通の女性の気持ちかもしれません。

 しかし、戦後間もない貧しい日本で暮らして

 行こうと、勇気ある決断をした米兵達は、

 多分ほんの僅かだったに違いありません。

 また、当時婚姻には至らず、かといって、

 認知して貰ったとしても、逆に日本人として

 戸籍への記載が認められなかったのですから、

 日本人女性の多くが、泣く泣く子の父親の欄を

 空白にしたまま、自らの戸籍に我が子を入れる

 方法しか採れなかったという悲話が、

 多数あったとも仄聞しています。

 こんな、戦禍に左右された理不尽な新国籍法が、

 朝鮮戦争が勃発した昭和25年7月から、

 高度経済成長期も一服して、いわゆる

 バブル経済に入る直前の昭和58年まで、

 放置され続けていたことは、

 実は意外と知られていない史実なのです。

 その後、2008年6月の最高裁判決で、

 旧国籍法では認められていた日本人が

 認知した子の日本国籍を認めないことに

 違憲判決が出るまで、実に33年間に渡って、

 旧国籍法に比べて、多くの問題を抱えていたのが、

 戦後の新国籍法であったことを

 広く知っていただきたく思う次第です。


 ところで、もう既に失効している旧国籍法

 など知っていても仕方が無いではないかと

 思われている方々が、いるかもしれませんが、

 それは大きな間違いです。

 実は、行政書士が扱う実務では、

 この旧国籍法が生きていますし、

 実際に援用するケースが多々あるのです!

 (以下、次回)

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