エド・マクベインが亡くなりました。
享年78歳
映画「暴力教室」の脚本で世に出、ヒッチコックの「鳥」の脚本を書いた事でも知られていますが、なんと言っても警察ものミステリー「87分署シリーズ」が有名です。
「87分署シリーズ」は第1作が1956年で、以来今年まで55作目が刊行されました。
※日本では、第10作目の「キングの身代金」が黒沢明の「天国と地獄」の原案になったことでも知られています。
※The New York Timesの追悼記事はこちら作品一覧はこちら
僕は87分署シリーズの大のファンで、学生の時に出あった直後から2日に3冊のペースで1作目から順に読み出し、追いついて以来新刊が出る都度すべて読んでいます。
(新刊はハヤカワ・ミステリなので、置いてある本屋が少ないのが悩みのタネでした。)
※翻訳は52作目までなので、あと3作は読めるわけです。
87分署シリーズは、ニューヨーク(作中では架空の都市「アイソラ」となってますが)の警察署の刑事たちを主役にしたミステリーです。
登場した当初は、従来の「スーパーマン刑事」が事件を快刀乱麻に解決する小説と違い、刑事たちの日常や捜査方法をリアルに描く斬新な警察小説として脚光を浴びました。
その後の警察小説の方向を形作ったとも言えましょう。
マクベインは50年近く「87分署シリーズ」を続けてきたわけですが、時代と共にテーマとなる犯罪や犯人像も毎回変わってきていますし、登場人物である刑事たちの人物像が一作ごとに深まっていく感じがします。また、犯罪につき物の「色と欲」の描き方も年齢を感じさせないものがありました。
このように作者の興味やパワーが一向に衰えを見せなかったので、突然の訃報に驚きましたが、BBC Newsによれば、2002年に喉頭がんが発見され、放射線治療をしたものの、今回再発したとのこと。その間も執筆を続けていた(87分署シリーズだけでも4冊!)のですから
またエド・マクベインの小説は87分署シリーズに限らず、他の作品(本名のエヴァン・ハンター名義で書いているものも)にも世の中や人間に対する「明るくシニカル」というような視線や筆致が共通してあり、いつ読んでもニヤッとさせられました。
そんなマクベインがハヤカワ・ミステリの50周年に寄せた短いエッセイから抜粋させていただきます。
(ハヤカワ書房さん、ごめんなさい)
マクベインらしい筆致とミステリ作家としてのプライドが垣間見れると思います。
合掌
これまで多くの作家たちが、創作の神秘を明らかにしようとしてきた。作家にとって、文芸を司る女神ミューズは、常に自分の肩の上に乗っているものなのだ。
私はそう信じている。
(中略)そして作家がミステリを書くとき、そのプロセスはさらに神秘化される。
ミステリ小説は普通小説とはまた別のものだ。
ご存知のように、普通小説には三つのタイプがある。
ひとつはお高い文学(quality literature)と呼ばれるもの--略して”クォル・リット”。
次に普通小説のリストのせいぜい中ほどにしか載らない本(the middle of the list book)と呼ばれるもの--略して”ザ・ミッド-リスト・ブック”。
三つ目は駄作(trash)と呼ばれるもの--略して”トラシュ”
”クォル・リット”は、プロットなしの小説と定義できるかもしれない。それはもっぱら現在時制で書かれ、本来はマニア向けの雑誌に掲載されるようなプロットのない短編を引き伸ばしたものだ。
”トラシュ”は、とんでもなく美しいヒロインが、世界を股に掛けた大きなビジネスを手に入れる途中で、もつれた男女間の性的関係といった類のことにうまく対処しながら、デザイナーズ・ブランドの服を絶えず脱いでいるといった小説と定義できる。
”ザ・ミッド-リスト・ブック”は、五百部しか売れないという条件で、”クォル・リット”でも”トラシュ”でもない小説と定義できる。
(中略)
普通小説でないものは何でもジャンル小説と呼ばれる。ジャンル小説は四つの大きな範疇に分類できる。
スパイ小説--世界を救うことについて書かれたもの。
ロマンス小説--純潔を救うことについて書かれたもの。
サイエンス・フィクション--別世界を救うことについて書かれたもの。
ミステリ小説--ご近所を救うことについて書かれたもの。
私はミステリを書いている。
近頃まで、ミステリは尊敬すべきものとは全くみなされなかった。(中略)私が<八七分署>シリーズを書き始めた当時、そのシリーズにはペンネームを使うのが望ましいと思えた。これはいわゆる”純文学”とやらの作家として芽を出し始めた私のキャリアを守るためだった。かくしてエド・マクベインが誕生した。
しかしこの頃では、本のカヴァーを裏返すことなく、公共の浜辺でミステリを読むことができる。ミステリは今や相当の地位を得た。最大のミステリは。これまでずっとミステリに敬意が払われなかったことだ。エヴァン・ハンターの肩に載っているミューズは、エド・マクベインの肩に載っているミューズとは違ったのだろうか?
(後略、以下ハヤカワ書房への謝辞)
「87分署シリーズ」は、やはり第1作から読んでみていただきたいです・・・(昔のものは文庫になってます)
ま、そうも言っていられない方は
黒澤明の「天国と地獄」の原案になったキングの身代金
などはいかがでしょう。
あと、お勧めは、シリーズで唯一複数作に登場した犯罪者「デフ・マン」の登場する5作(なんと1960~1993と足掛け3分の1世紀)です。
電話魔
警官
死んだ耳の男
八頭の黒馬
悪戯
享年78歳
映画「暴力教室」の脚本で世に出、ヒッチコックの「鳥」の脚本を書いた事でも知られていますが、なんと言っても警察ものミステリー「87分署シリーズ」が有名です。
「87分署シリーズ」は第1作が1956年で、以来今年まで55作目が刊行されました。
※日本では、第10作目の「キングの身代金」が黒沢明の「天国と地獄」の原案になったことでも知られています。
※The New York Timesの追悼記事はこちら作品一覧はこちら
僕は87分署シリーズの大のファンで、学生の時に出あった直後から2日に3冊のペースで1作目から順に読み出し、追いついて以来新刊が出る都度すべて読んでいます。
(新刊はハヤカワ・ミステリなので、置いてある本屋が少ないのが悩みのタネでした。)
※翻訳は52作目までなので、あと3作は読めるわけです。
87分署シリーズは、ニューヨーク(作中では架空の都市「アイソラ」となってますが)の警察署の刑事たちを主役にしたミステリーです。
登場した当初は、従来の「スーパーマン刑事」が事件を快刀乱麻に解決する小説と違い、刑事たちの日常や捜査方法をリアルに描く斬新な警察小説として脚光を浴びました。
その後の警察小説の方向を形作ったとも言えましょう。
マクベインは50年近く「87分署シリーズ」を続けてきたわけですが、時代と共にテーマとなる犯罪や犯人像も毎回変わってきていますし、登場人物である刑事たちの人物像が一作ごとに深まっていく感じがします。また、犯罪につき物の「色と欲」の描き方も年齢を感じさせないものがありました。
このように作者の興味やパワーが一向に衰えを見せなかったので、突然の訃報に驚きましたが、BBC Newsによれば、2002年に喉頭がんが発見され、放射線治療をしたものの、今回再発したとのこと。その間も執筆を続けていた(87分署シリーズだけでも4冊!)のですから
またエド・マクベインの小説は87分署シリーズに限らず、他の作品(本名のエヴァン・ハンター名義で書いているものも)にも世の中や人間に対する「明るくシニカル」というような視線や筆致が共通してあり、いつ読んでもニヤッとさせられました。
そんなマクベインがハヤカワ・ミステリの50周年に寄せた短いエッセイから抜粋させていただきます。
(ハヤカワ書房さん、ごめんなさい)
マクベインらしい筆致とミステリ作家としてのプライドが垣間見れると思います。
合掌
これまで多くの作家たちが、創作の神秘を明らかにしようとしてきた。作家にとって、文芸を司る女神ミューズは、常に自分の肩の上に乗っているものなのだ。
私はそう信じている。
(中略)そして作家がミステリを書くとき、そのプロセスはさらに神秘化される。
ミステリ小説は普通小説とはまた別のものだ。
ご存知のように、普通小説には三つのタイプがある。
ひとつはお高い文学(quality literature)と呼ばれるもの--略して”クォル・リット”。
次に普通小説のリストのせいぜい中ほどにしか載らない本(the middle of the list book)と呼ばれるもの--略して”ザ・ミッド-リスト・ブック”。
三つ目は駄作(trash)と呼ばれるもの--略して”トラシュ”
”クォル・リット”は、プロットなしの小説と定義できるかもしれない。それはもっぱら現在時制で書かれ、本来はマニア向けの雑誌に掲載されるようなプロットのない短編を引き伸ばしたものだ。
”トラシュ”は、とんでもなく美しいヒロインが、世界を股に掛けた大きなビジネスを手に入れる途中で、もつれた男女間の性的関係といった類のことにうまく対処しながら、デザイナーズ・ブランドの服を絶えず脱いでいるといった小説と定義できる。
”ザ・ミッド-リスト・ブック”は、五百部しか売れないという条件で、”クォル・リット”でも”トラシュ”でもない小説と定義できる。
(中略)
普通小説でないものは何でもジャンル小説と呼ばれる。ジャンル小説は四つの大きな範疇に分類できる。
スパイ小説--世界を救うことについて書かれたもの。
ロマンス小説--純潔を救うことについて書かれたもの。
サイエンス・フィクション--別世界を救うことについて書かれたもの。
ミステリ小説--ご近所を救うことについて書かれたもの。
私はミステリを書いている。
近頃まで、ミステリは尊敬すべきものとは全くみなされなかった。(中略)私が<八七分署>シリーズを書き始めた当時、そのシリーズにはペンネームを使うのが望ましいと思えた。これはいわゆる”純文学”とやらの作家として芽を出し始めた私のキャリアを守るためだった。かくしてエド・マクベインが誕生した。
しかしこの頃では、本のカヴァーを裏返すことなく、公共の浜辺でミステリを読むことができる。ミステリは今や相当の地位を得た。最大のミステリは。これまでずっとミステリに敬意が払われなかったことだ。エヴァン・ハンターの肩に載っているミューズは、エド・マクベインの肩に載っているミューズとは違ったのだろうか?
(後略、以下ハヤカワ書房への謝辞)
「87分署シリーズ」は、やはり第1作から読んでみていただきたいです・・・(昔のものは文庫になってます)
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ま、そうも言っていられない方は
黒澤明の「天国と地獄」の原案になったキングの身代金
あと、お勧めは、シリーズで唯一複数作に登場した犯罪者「デフ・マン」の登場する5作(なんと1960~1993と足掛け3分の1世紀)です。
電話魔
警官
死んだ耳の男
八頭の黒馬
悪戯