昨日の記事についての補足
昨日の話で抜けていたのが
そもそもテロにどんな理屈があろうと、犯罪行為ではないか。
犯罪行為は処罰されるべきだし、防止するべきだ。
という大前提があります。
ただ問題は、犯罪者や狂信的(どこからが「狂信的」なのかの線引きは難しいですが)な集団だけでなく(これらは警察とか治安組織の本来の仕事です)、何らかの政治的主張(これもどこからが真っ当な政治的主張か、の問題はあります)の手段としてテロを使おうとする人々(=ある程度合理的判断が出来ると思われる人々)に対し、どういう抑止ができるのか、ということを考える事で、今回のような大規模なテロはある程度減少できるのではないか(大規模なテロには資金力が必要で、「大義」があるほど資金集めはしやすいし、逆に「大義」をなくせば資金も集まらない)と思うからです。
その辺が抜けてたので、いきなり「造反有理」「愛国無罪」風な前提に読めてしまったかもしれません。
それからもうひとつ、じゃあ、具体的にテロを取り締まるためにどこまで日常生活の不便を甘受するか、というのは今度はわれわれ一般人の意識の問題とからんできます。
空港の手荷物検査をどこまで厳重にするか、テロ情報による飛行機・列車の運行停止に強制力を持たせるかとか、警官等の所持品検査権や通信傍受をどこまで認めるか、とかの問題です。
一般の犯罪に対しては、公権力は基本的には事後の逮捕による刑罰を原則としているわけで、事前の公安活動に強制力を持たせる、ということはその分日常生活の自由度が失われるわけです。
これは裏を返せば、テロをどの程度まで「日常生活上のリスク」ととらえるか、ということですね。
これもなかなか難しい問題です。
昨日の話で抜けていたのが
そもそもテロにどんな理屈があろうと、犯罪行為ではないか。
犯罪行為は処罰されるべきだし、防止するべきだ。
という大前提があります。
ただ問題は、犯罪者や狂信的(どこからが「狂信的」なのかの線引きは難しいですが)な集団だけでなく(これらは警察とか治安組織の本来の仕事です)、何らかの政治的主張(これもどこからが真っ当な政治的主張か、の問題はあります)の手段としてテロを使おうとする人々(=ある程度合理的判断が出来ると思われる人々)に対し、どういう抑止ができるのか、ということを考える事で、今回のような大規模なテロはある程度減少できるのではないか(大規模なテロには資金力が必要で、「大義」があるほど資金集めはしやすいし、逆に「大義」をなくせば資金も集まらない)と思うからです。
その辺が抜けてたので、いきなり「造反有理」「愛国無罪」風な前提に読めてしまったかもしれません。
それからもうひとつ、じゃあ、具体的にテロを取り締まるためにどこまで日常生活の不便を甘受するか、というのは今度はわれわれ一般人の意識の問題とからんできます。
空港の手荷物検査をどこまで厳重にするか、テロ情報による飛行機・列車の運行停止に強制力を持たせるかとか、警官等の所持品検査権や通信傍受をどこまで認めるか、とかの問題です。
一般の犯罪に対しては、公権力は基本的には事後の逮捕による刑罰を原則としているわけで、事前の公安活動に強制力を持たせる、ということはその分日常生活の自由度が失われるわけです。
これは裏を返せば、テロをどの程度まで「日常生活上のリスク」ととらえるか、ということですね。
これもなかなか難しい問題です。