一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

神前結婚式の由来

2010-01-04 | よしなしごと

新年早々なのでおめでたい話から。

年末本を整理していて、ぱらぱらとめくって見つけた話。

そもそも婚家で床の間を背にして行われていた一般庶民の結婚式が、神前で挙行されるようになったのは、明治33年、大正天皇の結婚式が、皇居内賢所の神前で行われて以来とされる。これを大々的にマスコミが報じたのを受けて、東京大神宮が神前結婚式を挙げ、話題になった。しかし神前結婚式が民間に普及したのは、ようやく第二次世界大戦後であった。神社での結婚式だと、披露宴の場は他に設けなくてはならない。いち早く帝国ホテルは、1923年(大正12年)関東大震災で焼失した神社をホテル内に祀り、美容室と写真館も取り入れて、挙式と披露宴を一体化させている。ホテル・ウエディングのはしりであるが(以下略)
(武田佐知子「ガスビルと大阪学士会倶楽部」学士会会報No.877)  

東京大神宮のサイトの「ご由緒」をみると、確かにそんなことが書いてあります。

明治の新国家が誕生すると、明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建された当社は、最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に「日比谷大神宮」と称されていました。関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は社名を「東京大神宮」と改め今日に至っております。 
現在広く行われている神前結婚式は、当社の創始によるものであり、今も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えております。

より詳しくは「神前結婚式」のところに  

現在広く行われている神前結婚式の歴史は、明治33年、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)と九条節子姫(後の貞明皇后)のご成婚に始まります。宮中の歴史において初めて皇居内の賢所(神前)で行われたご成婚の慶事を記念して、東京大神宮では神前結婚式を創始し、以後その普及に力を注いでまいりました。それ以前の挙式は家庭で行うのが通例だったので、神前で厳粛かつ神聖な儀式を行うことは、画期的なできごととして人々の関心を集めたのでした。 
大正元年に発表された夏目漱石の有名な小説「行人」にも、日比谷大神宮(現在の東京大神宮)における結婚式の様子が克明に描かれております。

神社だけあって由緒にはこだわっているようです。

一方で、帝国ホテルは一体どこの神社を持ってきたんだろうと調べてみたら、さすがに帝国ホテルのサイトにはありませんでしたが こちらによると

今では一般的となったホテルウエディングは、大正12(1923)年の関東大震災がきっかけで始まった。 日本では元来、結婚式を自宅で行う風習があったが、明治期には日比谷大神宮など神社での挙式が盛んになる。帝国ホテルでは開業当初から、挙式後の披露宴が開かれていた。 
しかし、震災で日比谷大神宮が焼失。そこで帝国ホテルが施設内に神社をつくり、挙式と披露宴を組み合わせたホテルウエディングの原型ができた。  

今の東京大神宮が日比谷にあって「日比谷大神宮」と呼ばれていて、既に神前結婚式を行っていたときに関東大震災があり、消失した日比谷大神宮の神前結婚式ごと引き継いだということのようです。どこかの小さな神社を持ってきたのかと思ったら、さすが帝国ホテル、きちんとしていますね。(神社的には分祀になるのでしょうか。)

帝国ホテルはフランク・ロイド・ライトの設計のいわゆるライト館の竣工が大正12年なので、竣工早々どこに神社を作りこんだのでしょうか。

フランク・ロイド・ライトがどういう反応をしたのかも興味があります

まさか"Oh, my God!"とかとは言わなかったでしょうが・・・


コメント
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