1945年8月9日のソ連の満州侵攻をめぐる半藤一利氏の本。
終戦後をめぐる米英とスターリンとのかけひき、その背景を見通せずにソ連の仲介による和平を期待していた軍部、そして既に南方に大半の兵力を割かれて張子の虎になっていた関東軍の1945年の夏の行動を、俯瞰しつつまた細部の証言を拾いながら立体的に描きます。
中でも強調されているのが、政府や軍部の大局観のなさと外交音痴度合い。
結局は戦争は勝利するにしても(相手を完全に殲滅する以外は)最後は外交交渉になるわけですが、日本軍・政府には相手方の情報蒐集や停戦協定などの国際法上プロトコルへの配慮がなされていなかったことがソ連の侵攻(とそれを予知できなかった事態)を招き、在留日本人の悲劇やシベリア抑留につながったと指摘します。
日本軍は戦争に勝つとしても終りかたまで考えていなかったのでしょうし、降伏といえば玉砕しか考えていなかったわけで、民間人を残しながらの敗戦処理などは想定もしていなかったのでしょう。
昨日の『組織の不条理』以前の問題があったようにも思いますし、それが限定合理性が不条理を生み出さないためには、その限界を認識する広い視野が必要ということだと思います。
終戦後をめぐる米英とスターリンとのかけひき、その背景を見通せずにソ連の仲介による和平を期待していた軍部、そして既に南方に大半の兵力を割かれて張子の虎になっていた関東軍の1945年の夏の行動を、俯瞰しつつまた細部の証言を拾いながら立体的に描きます。
中でも強調されているのが、政府や軍部の大局観のなさと外交音痴度合い。
結局は戦争は勝利するにしても(相手を完全に殲滅する以外は)最後は外交交渉になるわけですが、日本軍・政府には相手方の情報蒐集や停戦協定などの国際法上プロトコルへの配慮がなされていなかったことがソ連の侵攻(とそれを予知できなかった事態)を招き、在留日本人の悲劇やシベリア抑留につながったと指摘します。
日本軍は戦争に勝つとしても終りかたまで考えていなかったのでしょうし、降伏といえば玉砕しか考えていなかったわけで、民間人を残しながらの敗戦処理などは想定もしていなかったのでしょう。
昨日の『組織の不条理』以前の問題があったようにも思いますし、それが限定合理性が不条理を生み出さないためには、その限界を認識する広い視野が必要ということだと思います。