くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

揺らぐ決意。

2012-05-19 | 日記
 

先週、あんなに  “かたい決意“ をしたのに、もう、揺らぎ始めている。

教えられたとおり、朝、昼、夜 と、大好きな ご飯 を、 300+200+100=600g にしたものの、

  くうふくで、クーフクで、空腹で‥‥‥。  悲しくなる。

空腹は、鼻が異常に効き、お隣さんはカレーだね、その隣は焼き肉、こっちは干物を焼いてるね、と警察犬なみの能力です。

昨日は、長いブログを書いたため、家にいる時間が長くなり、決意を破り

まんじゅう、菓子パン、アイスキャンデー、チョコレート、バナナ それと、ご飯を、計量せずに食べました。

 “欲しがりません、勝つまでは“

戦争を経験した人は、かたい決意の下、自分を抑え、お国のために尽くしてきました。

この、 ヘナチョコ根性 を、どう鍛えればよいのか!!。

プール仲間の、大正生まれの Hさん に聞いてみよう。

日頃から、 「あたしゃあ、死にびつつ やりゆうきにねえ。」

これが、彼女のくちぐせです。

さ、仕切り直しです。

とさの里 へ行って、ゲットしました。 まがりきゅうりと、小ナスは即、漬物行です。

お茶が切れたので、本当は、それだけ買えばよかったのに‥‥‥。 です。

2-3日前の新聞の切り抜きです。らくらくスマホ。

3キロ減ったらこれを買おう!

旅先から ○○ナウ をやりたい。それには、まずPC力をつけなければ!!。




ガメ君、太りすぎはあごへ肉が積み、下を向きにくいよね。




コメント (6)
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カッパドキア。

2012-05-19 | 旅行

 



3月28~29日の写真です。

トルコの、世界遺産、カッパドキア です。

ローマ帝国の迫害から逃れたキリスト教徒が移り住み、地下都市や、岩窟教会を作り上げたと
いわれる、カッパドキア。

しかし、ここはイスラムの国です。遠景にはイスラム教の、モスクと塔が見えます。

4枚目は宿泊した洞窟ホテル、ギョレメ  カヤ  ホテルです。部屋は思ったより広く快適でしたが
エレベーターが無いため ボーイさんはカバン運びが大変だったと思います。

どうしても、バルーンへ乗る勇気がありませんでした。後悔しています。



添乗員さんの説明です。

明治23年、トルコの軍艦が、和歌山県沖で台風のため遭難し、500名以上の犠牲者を出す
大惨事となった。

この時、数10名が命からがら泳ぎ 灯台下の断がいを登り助けを求めた。台風のため出漁できず、食糧の貯えも少ないなかで住民は衣類、食料品、それに非常用のニワトリまで提供して献身的に、生存者の救助に努め、この結果多くの命が救われた。

更に生存者を、神戸の病院に収容し村の区長から県へ、県から日本政府に働きかけた結果、各新聞は衝撃的なニュースとして伝え 多くの義捐金 弔慰金が寄せられた。

また、遭難者は事故の20日後に、日本海軍の軍艦2隻により、トルコ、オスマン帝国の首都
イスタンブールへ送られた。

この時、2隻には、あの『坂の上の雲』の主役 秋山真之が乗り込んだ。

このことがトルコの小学校の教科書に載っているため トルコは世界一の親日家として知られており、どこへ行っても、先生に引率された小学生が ジャパン、ジャパン?と話しかけ、イエス、イエス
と答えると、即、ハイタッチです。

また、イラクのフセイン政権下 ○時間内に出ていかないと、総攻撃をかける!!と声明を出された時、まだ、イラク国内には200名ほどの日本人が残っており、とても時間内にはなにもできない。

当時の、小泉首相は、トルコ政府に救助を求めた。すると、トルコ政府は、自国民がまだたくさん残っているにもかかわらず 自国民には陸路、避難するよう指示を出し、日本人のために、飛行機を2機チャーターしてくれ、全員無事に脱出できた。

また、添乗歴27年のベテラン添乗員Kさんの話によると 彼女が添乗員になりたての頃、トルコの若者数名と一緒に研修を受けた。

彼等は貧しく、アパートの狭い部屋に、数人が すし詰めで勉強に来ていた。

今、彼らは、トルコでも有数のお金持ちになり、トルコ経済の一翼を担っているとのこと。

コウノトリが、電柱の上に巣をつくり、子育てをしていました。

今日は、少し長くなりすぎました。読んでいただき感謝です。







コメント (4)
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