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火野正平さんは小豆島の醤油蔵に着きました。
14-5年ほど前になりましょうか
小豆島の 丸島醤油さんの醤油蔵を見学に行きました。
当時 実家でも醤油を作っており 村おこしの一つとして
醤油を作ろう という提案がありました。
南国市より 学校給食に使いたい と打診があったためです。
家での醤油作りは 村の5-6軒の希望者がそれぞれ木の樽を用意し
実家の納屋に置き 醤油麹から作ります。
詳しい過程は知りませんが 毎日木の棒でかき混ぜなければならず
これを 母を入れた3人の婆がよそ様の分もお世話していました。
毎朝 3婆が集まり 醤油を混ぜ樽をきれいに拭いておりました。
一仕事終わると 母がコーヒーを立て 持ち寄ったお煎餅など食べて
3婆のサロンタイムは お昼ごろまでおしゃべりをするのです。
学校給食に使うとなれば 民家で少量を細々と作るわけにいかず
本場で見学をということになり マイクロバスの席が余るということで
休日に皆で出発という段どりになりました。
丸島醤油さんでは 丁寧な説明をしてもらい醤油蔵の見学もできました。
醤油には興味がなかった私は 説明もテキトーに聞いておりましたが
「 醤油は 環境を良くしないと香り高い物は出来ない 周りの匂いを吸収するので
ドブ川の匂いのするところや トイレ臭のするところへ決して樽を置いてはいけない
樽を置く建屋が変わるとまた違う味になる という繊細なものですよ 」
とのことで これ以降 母は蚊取り線香さえも焚かなくなりました。
実家は山へ隣接しており 山から湧く石清水で美味しい醤油ができたのです。
納屋は何年も醤油作りをしたため 天井には醤油の スス みたいなものがありました。
この規模を大きくして給食に使ってもらおう と区長や村の人達は乗り気でした。
しかし この話は成立しませんでした。
学校給食に使うとなれば 高温の熱処理をしなければならず すれば折角の風味が飛び
美味しくなくなります。
他への影響があるからと ポリの樽さえ置かさない 醤油作りのリーダーである母は
熱処理だけは決して譲らず 相手も譲らずにオジャンになりました。
風味豊かな手作り醤油は 1升ビンに詰められ 母が親戚知人等に配り
皆心待ちにしてくれ 運転手の私は 母と醤油を積んで 東へ西へと走りました。
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醤油を絞った後にできる 醤油の実 はこれも人気で某仕出し屋に分けており
醤油の実 なまって しょいの実 と呼んでおりました。
醤油名人の3婆は 最長老は90歳を過ぎ 今はそれぞれ別のグループホームに入り
足は弱ったものの 口は達者で連日毒をはいております。