くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

お醤油の話。

2012-11-03 | 日記
                  

            火野正平さんは小豆島の醤油蔵に着きました。

          14-5年ほど前になりましょうか

          小豆島の 丸島醤油さんの醤油蔵を見学に行きました。

          当時 実家でも醤油を作っており 村おこしの一つとして

          醤油を作ろう という提案がありました。

          南国市より 学校給食に使いたい と打診があったためです。

          家での醤油作りは 村の5-6軒の希望者がそれぞれ木の樽を用意し

          実家の納屋に置き 醤油麹から作ります。

          詳しい過程は知りませんが 毎日木の棒でかき混ぜなければならず

          これを 母を入れた3人の婆がよそ様の分もお世話していました。

          毎朝 3婆が集まり 醤油を混ぜ樽をきれいに拭いておりました。

          一仕事終わると 母がコーヒーを立て 持ち寄ったお煎餅など食べて

          3婆のサロンタイムは お昼ごろまでおしゃべりをするのです。

          学校給食に使うとなれば 民家で少量を細々と作るわけにいかず

          本場で見学をということになり マイクロバスの席が余るということで

          休日に皆で出発という段どりになりました。

          丸島醤油さんでは 丁寧な説明をしてもらい醤油蔵の見学もできました。

          醤油には興味がなかった私は 説明もテキトーに聞いておりましたが

          「 醤油は 環境を良くしないと香り高い物は出来ない  周りの匂いを吸収するので

          ドブ川の匂いのするところや トイレ臭のするところへ決して樽を置いてはいけない 

          樽を置く建屋が変わるとまた違う味になる という繊細なものですよ 」

          とのことで これ以降 母は蚊取り線香さえも焚かなくなりました。

          実家は山へ隣接しており 山から湧く石清水で美味しい醤油ができたのです。

          納屋は何年も醤油作りをしたため 天井には醤油の スス みたいなものがありました。

          この規模を大きくして給食に使ってもらおう と区長や村の人達は乗り気でした。

          しかし この話は成立しませんでした。

          学校給食に使うとなれば 高温の熱処理をしなければならず すれば折角の風味が飛び

          美味しくなくなります。

          他への影響があるからと ポリの樽さえ置かさない 醤油作りのリーダーである母は

          熱処理だけは決して譲らず 相手も譲らずにオジャンになりました。

          風味豊かな手作り醤油は 1升ビンに詰められ 母が親戚知人等に配り

          皆心待ちにしてくれ 運転手の私は 母と醤油を積んで 東へ西へと走りました。
 

                
                     

            醤油を絞った後にできる 醤油の実 はこれも人気で某仕出し屋に分けており

          醤油の実  なまって  しょいの実  と呼んでおりました。

          醤油名人の3婆は 最長老は90歳を過ぎ 今はそれぞれ別のグループホームに入り

          足は弱ったものの 口は達者で連日毒をはいております。
                    



             
コメント (8)
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