リオ五輪も終わり東京五輪へと あと4年となりましたが 52年前の東京で
五輪の名花と称賛されたチェコの体操選手 ベラ・チャスラフスカさん74歳の
訃報を 2-3日前のニュースで知りました。
子ネコがピョンピョン跳ねるような サーカスや 上海雑技団風ではなく
52年前の東京五輪で 床・平均台・段違い平行棒での 彼女の成熟した
美しさは 世界を魅了しました。
だれが見ても文句なしの 金メダル3個を獲得し 世界に存在も知られ
五輪後は 体操のナショナルチームのコーチとして 約束された人生が
待っているはずでした。
当時共産国であったチェコで起きた 民主化を進めるプラハの春を支持
した彼女は ソビエトからの度重なる弾圧に屈することなく 掃除婦まで
しつつ生きたことを 数ヵ月前の NHKBSの番組で知りました。
NHKのインタビューに答える彼女は 末期がんを患っていることも語り
その表情は 年輪を重ねた美しさがありました。
国が変貌を遂げる大きな渦の中で 次の五輪に向け 厳しい監視の下
十分な練習も出来ず臨んだ 1968年のメキシコ五輪で 彼女は東京を
上回る 4個の金メダルを取りました。
東京五輪で その美しさに魅了された私の家族は 家の白黒TV前で
メキシコ五輪も応援しましたが そのとき祖母が
たった4年しか経たんのに チャスラフスカさんは 老けたね
と言ったことを思い出し 当時彼女が 大きな民主化のうねりに翻弄され
大変な恐怖や 苦労の日々を送っていたことを 今になって知りました。
このNHKインタビューでは語りませんでしたが 離婚した夫と 2人の間に
生まれた息子がケンカをして その最中に 元夫が死亡したことに 大きな
衝撃を受けた彼女は それ以降 公の場に出なくなったそうです。
約束された幸せな道を選ばずに イバラの道を歩み続けた五輪の名花
ベラ・チャスラフスカ選手 観客を魅了する華のある選手は あなた以降
未だ見ておりません ご冥福をお祈りします。